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新海誠監督「秒速5センチメートル」が何故気持ち悪いと評されるのか。

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*書籍紹介しようと書いていたら、違う感じの記事になってしまいました。。。

 

 

久しぶりに「秒速5センチメートル」を見た。何回見ても、この映画は僕を苦しくさせる。見ていてここまで疲れる作品もなかなかない。見るたびに過去の思い出たちが疼き出し、身体中の悲しみが共鳴し、フラッシュバックの嵐が心の中で渦を巻き上げる。それでも、僕はふとこの作品を見たくなってしまう。寝ることのできなかった真夜中の午前二時頃に、この映画を見てしまった高校二年生の頃の僕は想像以上に強かったのだ。涙もろくなってしまった今の自分がそんな時間帯に見てしまったら、「桜花抄」の小山駅あたりで脱水症状になってしまうはずだ。

 

どうして、この作品を何度も僕は見ているのか。それは過ちを二度と犯さないための振り返りなのだ。過去してしまった大罪を振り返る時間。あの出来事によって失われた心の欠片は今でもたまに僕を唸らせる。夢の中では絶えず、誰かが僕に余韻を思い出せと囁き、頭を撫でながら手招きをしている。その悪夢に飲み込まれないようにこの作品を見る。当時の自分の不勉強さを再確認する。主観性を客観性へと追いやり、冷静的に分析する。それがこの作品と僕の関係だ。

 

あんまり抽象的な話をしていてもつまらない。より具体的に言うならば、この作品から僕は「ロマンテック・ラブの忠実性と敗北」と「運命の残酷性」の復習をしている。2つの罪深い行為を二度としないために、何度もこの作品を見るわけだ。

 

ロマンテック・ラブの忠実性と敗北とは何か。恋愛は過去から現在に至るまで3つの変化をたどってきた。「情熱恋愛」から始まり、「ロマンティク・ラブ」、そして「コンフルエント・ラブ」となる。その中に含まれている「ロマンティク・ラブ」の性質がこの物語に反映されているのだ。(詳しくはメモへ)

「ロマンティク・ラブ」とはルネサンス期頃に現れた精神的な面で、人生の積極性を展開をするというものだ。情熱恋愛に近いが、刹那性がなく、永久性を持っている。また、恋愛は結婚のためののものであり、セックスという愛の最高表現を燃料にし、二人の火は結婚後も永遠に燃え続ける。完全に混じり合い、孤独を消しさる。自分の感情のままに導かれる。運命的な出会い。全てを受け入れる性質があるが、ロマン主義の根底には破滅的な運命がある。

遠野くんは自身を溶け合う恋愛にと成熟することなく、プラトニック・ラブに囚われたまま大人になってしまった。依存人生。それは彼の場合、過去に対するものでフロイトでいう「心の穴」というものに意識的に固執してしまったのかもしれない。一緒に朝を迎えた岩舟駅のホームで言われた「きっと大丈夫!」が心に大きな穴を開けてしまった。そして、過去追求の結果、目の前の人が見えなくなった。心だけが過去のあの時に向かっている。秒速5センチメートルは、過去に依存し、ロマティク・ラブに囚われてしまった人の物語であることを示唆している。

 

 

 

では、二番目にある「運命の残酷性」とはなんだろうか。

運命とはそれが必ず結びつくこと。言い換えれば、それは能動的の軽視、そして偶然性の軽視であり、感情の軽視でもある。

運命という波に乗っていれば、きっと誰かが来てくれる。僕たち人間は絶対性にタカを括り、受動的な態度をとり続けることになる。受け入れるだけのもの。チャンスが来ても、自分から行動しないから手に入れられない。ウィリアム・ジェイムズですら「現実の偶発性に甘んじなければならない」と語っているし、九鬼周造も「驚きは著しく人間的情ということもであきる」と述べているのだから、運命性に心も身も投げ入れるのは少し勿体無い。また、偶然は驚きを生み出す。それを軽視してしまうから大切な女性に「心は1mmも近づかなかった」と言われてしまうのだ。何千回メールしたことも能動的ではなかったのだろうか。恋愛や結婚はタイミング的だと言われる。偶然性の支援がなければ成り立たない。遠野くんはその支援を拒絶した。拒絶というよりも、依存により気づけなかったのかもしれない。

  

現実の偶発性を信じたサイドのあかりは「遠野くんが来てくれたことこそ偶発的」(=岩舟駅)と思い、現実の運命性を信じてしまった(=遅延に苛立つ遠野くん)は「こんなに遅れるなら帰ってほしい。しかし、そこに居てくれた。」と思った。遠野くんは、運命性に縛られた。(プラトニックは依存的。恋心が運命性に依存対象が変わった。ただ対象が変わっただけなのに、それを恋とかに謝って認識してしまう)その結果、能動的な活動をしなくても、アクションが起こるかと思ってしまった(手紙を出さなかった。書けなかった)。運命性に囚われ、過去にしがみついていく。その内に過去そのものしか見れなくなる(あかり本人よりもその想いに重きをおく)あかりを引きずっているや初恋に引きずられてるというよりも、自分で作ってしまった過去(しがらみ、ある言葉や出来事のあった過去に陶酔しているうちに過去に囚われてしまったのだ。また、遠野くんはロマンティクに苛まれて、最終段階まで成熟できなかった。(しかし、コンフルエントに該当するものの雰囲気も若干ある)。永続性や想いに乗せられ、依存することをやめることができなかった。依存先を忘れたりしても、それに準ずるものに何度も依存してしまう。(彼女の言葉から、態度から、思い出から色々と移り変わる。でも、少しずつ彼女という存在は消え、言葉や態度のみの依存になっていく)。その結果、今自分の隣にいる現実的な人たち(今という時間幅に)に配慮することを忘れてしまった。この物語を見るたび、「偶然性」と「プラトニック・ラブへの嫌悪」を思い出す。過去の間違いに依存しないように、その追求によって、””過去だけ””にならないようにと「one more,one chance」が流れるたびに心に誓うのだ。

ただ、小田急線の踏切が上がった時にはそれを忘れてしまいそうになる。なかなか難しい。

 

 

 

 

 

 

 

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・メモ書き

*情熱恋愛(昔・最近また流行っている)感情の高ぶりから刹那的な忘却へ向かうもの。

ー情熱恋愛は12世紀頃から=騎士道もその時期から

 情熱恋愛はプラトニズムとキリスト教の禁欲性(プロテスタンてきなもの)から生まれた。

ー騎士道は一途(アーサー王など)

ー恋愛と結婚の区別。(妾などのそんなより)

プラトン的愛と騎士道的愛(コルテジア)の類似点がある

<サイモンズの”ダンテとプラトンの愛の思想”より>

=官能を離れた精神的愛を賛美する騎士道的愛にはプラトニズムが存在する。(エロスは初め、美しい肉体の所有を求めていくが、その肉体には本当の美がないことを悟り、美のイデアに飛翔していく)

ー情熱恋愛は無垢の苦痛や不幸の可能性を孕んでいる。またこれは清らかさではなく、あやまちの放棄にすぎない

 

*ロマンティク・ラブ(ルネサンス期1300年・以前・秒速の世界) 精神的な面で、人生の積極的な展開をする(実は、情熱恋愛の刹那性をお互いに取り除いたという意思の自己暗示的なもの・愛されたい感情。依存的なだけで思いやりなどはない)

ーロマンは依存関係

二人は依存的な恋愛をしていた気がする。(似た者同士、 いつも一緒、献身的、服従や罪の共有)

依存性は理解していないと、依存=恋愛という構図に占領されてしまうので危うい。

ロマン主義 (ギテンズ)18世紀から

性と愛と生活の合体がこのロマンティク性の担保

情熱恋愛に近いが、刹那性がなく、永久性を持っている。

1、自らの意思や感情

2、ゴールは結婚

3、結婚後は配偶者以外いらない

4、関係の永続性

ロマン主義前期に見られる「絶対的なもの」の「不可能性」

ー後期になると、「絶対的なもの」の「現実性」

ー後期のノリをニーチェは批判「大衆を馬鹿にしている」

by宮台真司

ー実際はロマンティク・ラブはここ30、40年のもの

(1965年以降はお見合い婚が廃れていく。それに反比例する形で恋愛結婚が増えてくる)

・ロマラブは女性の自由が進むにつれて、崩壊していく。

=コンフルエント・ラブへ

 

*一つに溶け合う恋愛(現代・今) 互いの自立の上で、排他性すらも欠いたもの。しかし、互いに感情を見せ合うもの

コフルエント・ラブと似ている。

1、能動的な感情のやりとり

2、相手の心にダイブしていく(依存とは異なる)

3、永続性よりも流動性

=『純粋な関係性(ギテンズによる・外部に影響されないコミニケーション)』

ーしかし、流動性ゆえに不安定が大きくなる。

 

・(『国境の南…』において:引用者)語られるラブストーリーは、「運命の恋(赤い糸)」とでも呼べるような定型を反復している。にもかかわらずそれが物語(フィクション)としての吸引力をもちうるのは、その背景に徹底的に偶発的な世界が置かれているからである。そこでは、感情も欲望も、善も悪も、すべてが条件次第で変容してしまう。その世界にあって、現実の「はかなさ」におびえる者たちにとっては、どのような境遇にあっても、どれだけ離ればなれになっても、変わらず求め合い続ける関係そのものがユートピアであり、したがって物語の機動力でもある。

(出典)pp.93-94。

 

*現実社会でも、これに近い問題が起きている。

感情の劣化や関係性の断片化(a君はカラオケ友達、b君はツーリング、c君はセフレのように、人によって遊ぶジャンルが固定化する傾向)はコンフルエント・ラブが原因。しかし、現代では情熱恋愛やプララブも存在し、自由の自由による圧政が実施されている。

 

・文献

アンソニー・ギテンズ 1992 『親密性の変容』

鈴木智之2016『顔の剥奪 文学から<他者のあやうさ>を読む』青弓社

ウィリアム・ジェイムズプラグマティズム

・谷本奈穂、2008、『恋愛の社会学―「遊び」とロマンティック・ラブの変容』(青弓社

・サイモンズ 『ダンテとプラトンの愛の思想』

山田昌弘 ,1994,『近代家族のゆくえ-家族と愛情のパラドックス新曜社