Fact is stranger than fiction by ドン・ジュアン
そんな現実にいるキミへ
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愛とか恋とかを「クソ!」と思う人たちへ

春の訪れが聞こえる深夜。夏とはまた違った寝苦しさがあり、それに苛まれていた。懐かしさに駆られ、携帯の写真を見返していると一つのツーショットが出てきた。確か、去年の2月ぐらいにある女性とスカイツリーに行った時に撮ったものだ。透き通った春空の夕日を展望台から見たあの日。きっと忘れることはない。彼女のことは結構本気だったし、あの日もまあまあ頑張ったつもりだ。しかし、次のお出かけは二度となかった。その人には彼氏がいた。付き合って半年らしい。そう僕は遊ばれてたのだ。どうして僕と遊んだのか、どうして手をつないできたのか。怒りよりも虚無感が上回り、現代人の感覚がよく理解できなかった。しかし、近年、この浮ついた愛のような事案は少なくない。自分の周りでもこのような話はよく聞くし、そもそも売春行為が名前を変え、平然と行なわれている時点で、愛らしきものが廃れているのがわかる。いや、廃れていたものが腐って、消えてしまったのかもしれない。

 

 

愛と呼ばれるものはどうして消えたのか。それは簡単に言えば、資本主義とインターネットの相互幇助の影響である。まず、自分たちの食べ物や暮らしに関するものはすべて自分たちの手で作っていた。いうなれば、自分のために働くのが労働の基本として位置付けられていた。しかし、産業革命により、分業化が進んだ結果、その実感がなくなる。そして資本の概念が現れ、実感がそこにシフトしていく。ただの歯車と化し、個が消失していく。当時はそのことを理解できなかった。また、資本主義においては消費が一番優先される、または資本家が世界を握っているため、愛は二次的なものになっていく。資本主義は留まることを知らず、どんどん拡大していく。中間層は崩壊し、法学者サンスィーンが提唱する「集団的極端化」が現実になっていく。

 

そして、ネットの登場により一般化された個人と愛の放置が次第に腐敗していくことになる。

 

インターネットの普及はボトムの発言力が高め、世間のおかしな部分を誰でも語れるようにし、簡単に自分の意見を述べることができる社会(仮想空間では)ようになった。心の底にある部分を明かしたり、数少ない友達を作ることもできた。しかし、あまりにも開放的すぎるその空間に、自由が他人の自由を阻害することによる自由の自由圧制が生まれていくことになる。これ「自由が自由を殺す」というものである。自由という親しみやすく、正義らしき言葉は多くの人のルサンチマンを疼かせ、ループ的な自由と抑圧が起きていく。

 

 

また、ネット独特の過剰な流動性がこの悪循環を加速させていく。懐かしいという感情は5年から半年前のことになり、情報は一月後には古臭くなり、関係性は三ヶ月も続かなくなった。高速化が進んで行く現実。私たちは常時走っている世界を生きている。息が切れようとも、足が攣ったとしても、脇腹が悲鳴をあげても、足を止めることができない。心臓を動かすだけで疲れてしまう。もちろん、対応策として複数の人格を使い分け、休息を確保しようとした。しかし、その努力も虚しく、「解離的」と呼ばれる記憶の共有ができない症状を患うことになってしまった。

 

積みかねのない一過性的な関係。つまみ食いのような関係。そして私たちは理性や論理よりも、比較的に容易な共鳴性ので繋がりを保とうとしたのだ。「エモい」という言葉がここまで短期的に浸透したのも、感情依存の雰囲気が多少なりともあったからだろう。いろんな人間と簡単に繋がり、気楽に話せるようになり、より多くの人間と繋がれるようになった。しかし、情緒的な言動が多くなり、情緒性と過剰な人間関係による疲労が慢性的になり、日常には情緒的な関係性が溢れ、一時的な関係性しか生まれてこなくなる。結果的に恋人という長期的なお付き合いをするという概念が避けられるようになっていった。ここには夜這いや若衆宿の廃れにより、恋愛市場が「ウィナー・テイクス・オール状態」と化し、魅力のない人間たちがあぶれてしまうようになったという原因も存在し、ネットというものが刹那性を強化したと言えるだろう。

 

また、先ほども述べたように、そのような希薄的な人間関係においては、積み重ねが存在しない。単純労働のように、刹那的な取り扱いしか行われないためその場限り。次に繋がるもの、自分に蓄積されるものが全くない。コミュ力などの向上などはあるが、それは一時的な関係性を作るためだけの能力アップである。そして、嫌になればすぐに切れてしまう。確かに人間関係において嫌いな人間と接する事は好ましいとは言えない。しかし、関係を構成・維持するにあたって、そのようなストレスが発生するのは当たり前である。

 

ここまでは簡単にまとめると、

 

資本主義の登場→悪なるものが発生

ネットの登場→上記の悪なるものが拡大

=① 自由による自由の崩壊

 ② 過剰な流動性の対処による患者化

 ③ ②による後遺症<あらゆる分野の情緒化>

 ④ ②による後遺症<一過性関係のストレス>

 

となる。

 

しかし、人間は愛なるものは捨てることはできない。アダムとイブ、古事記に書かれている日本誕生の秘話からわかるように、私たちは愛を通して、自己を補完しあうのだ。愛がないと生きていけないのだ。その結果、愛とは異なるもの、偽物の愛なるものを求めるようになっていく。全体的情緒化と過度なストレスによる疲れから、愛に対する不戦勝の可能性を見出してしまう。疲弊の面影しかない心。傷ついた心は(偽りの愛が目に入りやすくなった要因もあるが)偽りこそが愛であるとまでは行かないものの、それが愛であっても仕方ないと思ってしまう。偽りの愛を端的に表すならば、それは兄弟愛や母性愛の乱用である。排他性がなく、弱き者への愛から始まり、対等性を互いに導き出すものであるが兄弟愛であるが、それはヤリチングズ男共に乱用され、また、無条件に肯定され、日本人らしき責任性の転嫁を行う対象として、童貞たちに母性愛は乱用されている。現代の彼らはそれぞれの愛がごとに意味があることを忘れ、大きな括りの””愛””としか解釈できなくなる。そして、それが異性愛と思ってしまう現象に陥っている。その結果、兄弟愛・異性愛などの異種愛のカップルが出てきてしまい、適度なストレス以上の悩みや衝突が起きてしまうのだ。フロムもこのように語っている。

 

「西洋社会を客観的に見てみれば、兄弟愛・母性愛・異性愛を問わず、愛というものが比較的まれにしか見られず、さまざまな形の偽りの愛によって取って代わられていることはあきらかだ。そうした偽りの愛こそ、じつは愛の崩壊のあらわれなのである」――エーリッヒ・フロム

 

しかし、私たちは本来の愛を忘れたわけではない。真実の愛に希望を持てないだけだ。本当はみんなそれを欲している。寄生獣や東京グール、進撃の巨人などの自分では無いが、自分に近しい存在を頼ることによることで自己実現をしていく物語は、その愛の存在を匂わせているのだ。また、出会い系アプリの性質変化もこれに近しい。一年前にあった出会い系の雰囲気は刹那性の極限値「ワンナイト・ラブ」や「肉体の抱擁」であったが、ここ最近の情勢は「本気の方だけ」や「体目的は無理です」という真実の愛に近しいものを求める者が多くなってきた。

 

だが、この現状はただ「一過性のストレス」の回避に過ぎない。他に存在する3つの要因は未だに残っている。そして、この3つの要因に全体的な面で何か策を講じるのは、現時点では不可能だろう。偽物の愛を駆逐するのことは非常に難しい。共同体の空洞化は社会問題を是正することを困難にする。個人レベルでは、上記の4つを客観視して、自己を振り返っていくことでしか、対処できない。啓蒙して取り戻せられるほど、資本主義とネットは甘くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*備考欄

・兄弟愛

聖書の「汝のごとく汝の隣人を愛せ」に当てはまる。排他性がない。同一的なもの。無力な他者に対する愛から始まる。

無力さは一時的なものであり、それを育むことで対等になる。ー(問題はその成長後に投げ捨ててしまうということ)

 

・母性愛

無条件の肯定。子供に対して責任を持つ。人生への幸福感。一方的な関係。何も望まないもの。

ー(巣立つことから、別々の関係性にもちびかれる。)

 

 

・傷の永久化

マウント社会が下地にあるから、傷を持つものほど、マウントになり得る可能性を考え、傷を外に出せない。

傷というのは外部化しかないと治癒できない

 

 

思考の垂れ流しin19/3月

それは近親相姦に近い。母性愛なのか、兄弟愛なのか。ルッキズムに悩ませる人間を手に取り、握りしめ、手のひらで踊らせる。くるくる子犬のように吠える。彼らは理解もできない。僕はそれを愛と呼びたくない。ただの処理。ゴミを捨てるかのように、ウンチをするように。生理現象として昇華させるだけだ。

 

僕たちの時代は終わらない。確かに10年後は終わっている。僕らの時代が終わるまで、足を止めずに、生き急いでいく。

 

いや、近親相姦であるかも怪しい。自分より低い存在である概念しか扱えない。それを見せびらかしつつも、マウントを取り立てる。社会をしっかり見せつけてやればわかるはずだ。

 

社会すらわからない虫に対して、いかにも知った風に社会を教える。お前は社会が嫌いなんだろう?嫌いなものを教える人間は嫌いだが、これはきっと自己嫌悪の一部である。

 

確かに魅力的なのかもしれない。しかしよく考えてみよう。なぜ私があなたに興味を持ってるのか。そしてどうしてそこまで執着するのか。答えらしきものが見えてくる。

 

リトルピープルでしかない僕たち。しかし現実は違う。

 

 

一昨年に書いた日記を思い出す。愛を伝えないものを貶せ。高校生を卒業したばかりの僕はそんなことを謳っていた。

熟れた唄を憂いながら歌う

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 汗の不快なベタつきが僕を現実へ連れ戻す。清潔感溢れる汗が生物的な獣臭になっていた。床で寝ると、部屋の綿ゴミが服に纏わりつき、不潔さも増していく。何時に寝たかは覚えてない。夏の寝苦しい時期は活動限界まで行動しないと睡魔がやってこない。

 体のあちこちの悲鳴を聞き流しながら、起き上がる。部屋を出て、シャワー室に向かう。着ていた綿ゴミだらけの衣服を洗濯機に投げ捨て、柔軟剤をいつもより多く流し、適当にスイッチを入れる。シャワー室に入り、乱雑にドアを閉め、蛇口を回す。勢いよく溢れ出る水は体全体に伝っていき、汚れを落としていく。一つ一つの細胞が活性化していく高揚感。女子大生に人気のシャンプーとリンスを手の中で混ぜ込む。爪を立てず、手のひらでゆっくりと異性の雰囲気の漂う成分を髪に浸透させていく。あんまり異性に媚びるようなことはしたくないが、彼らからの多少の人気がないと生存価値を見出せないのが若者だ。仕方がない。水浴びをし、瑞々しさを取り戻した体。タンスから服を引っ張りあげ、シワが目立たないように身につけていく。似つかわしい、清潔感あふれる自分に少し酔ってしまう。女性用のレモンの香りがする香水を付け、眉毛を整える。机の上の文庫本を持ち、窓のそばに座る。ピースに火をつけ、湿気に満ちた部屋に渋い香りを纏った煙を混ぜていく。自分の息が形になる快感。タバコをふかしている時しか生きている実感がない。老化のようにひらひら散っていく灰も。しっかりと黄ばんでいくフィルターも。人生の道筋もこんな感じに目視できれば、どれほど気楽なのだろうかと思う。

  気づくと、太陽が反対側の玄関口を照らしていた。何かに集中すると時間なんて忘れてしまう。生き急いでる僕には嬉しいことだが、時間という拘束具は悲しみや虚しさも同時に運んでくる。夜の練習のためにそろそろ家を出なくてはいけない。読み終えた本と灰皿を持ち、いつもの場所に置く。カバンに練習道具を乱雑に入れて、髪の毛を手早くセットする。22歳にもなると、身体に少しずつガタが現れ始める。病院に行くレベルではない。でも、なんか煩わしい感じ。僕たちは少し生き急ぎすぎなのかもしれない。

 

 バイクを30分ほど走らせ、都内にある体育館に向かった。真夏にバイクを走らせるのは自殺行為に等しい。夕方でも勢力を維持している暑さと湿気。東京湾からくる海風があるので、多少マシな気がするが、それでも汗は止まらない。本当に日本の夏はめんどくさい。

 体育館にはすでに練習生が集まっていた。会話したり、アップしたり、柔軟したり。合気道の稽古は意外と奥が深い。ただ、技の練習をしてるだけでは上手くならない。まあ武道全般に言えることだけども。練習技に着替え、カバンを置き、周りを見渡す。今日の集まりは結構良い感じだ。ざっと20人ぐらい。勿論、その中には楓さんもいた。おっとりとした雰囲気の楓さん。床に座り、柔軟をしながら、僕は気付かれないようにそっと彼女を見ていた。楓さんに会ったのは今年の5月ぐらいだった。久しぶりに参加した練習会に彼女がいた。大学生と思えないような落ち着いた雰囲気と言いたいことはしっかり言っtしまう、そのギャップに惹かれてしまった。その日の稽古はほとんど放心状態だった。僕の意識は楓さんの方向に向いていた。そうせざるを得ない魅力が彼女にはあった。

 僕の日頃の行いが良かったのか、それとも楓さん機嫌が良かったからなのだろうか、その日は二人で帰ることになった。彼女は蘇我駅の方に住んでいるので、体育館の最寄りで駅である東陽町からではなく、新木場駅から来てるようだった。彼女と同じ方面だったことが分かった僕。本当は前々から知っていたけど、うまく悟らせないように初めまして感を出す。こんな作り笑いで騙せる人ではないけど。バイクを体育館に置いていき、彼女と一緒に帰ることを決めた。こんなチャンスない二度とない思った。まあ彼女にはそんな事を言えるわけもなく、暑すぎてバイクでは帰れないという平凡な嘘をでっち上げておいた。勿論、そんなつまらない嘘はバレているはず。

 駅に向かう途中で色んなことを話した。彼女は看護師志望で、年は僕より二個上。合気道、というより武道は初めて習うらしい。なんでこんな地味な競技にしたんだろうか。あんなにおしとやかなのに、一本一本の毛がはっきりとした意識を奮わせるセミロングヘアーを輝かせる彼女。髪型とその雰囲気は世間における矛盾の枠組みを超えて、僕の元に戻ってくる。僕の心は気付かぬうちに射抜かれていた。魅力という魔物が放った弓を外すのには手遅れだった。

 その日はご飯もどこも行かなかった。彼女に拒絶された時のショックを想像してみると躊躇してしまう自分がいた。家に着き、練習着と洋服を洗濯機に入れ、シャワー室に入る。スピーカーの電源を入れ、ランダルで曲を流す。人気のシャンプーを頭に揉みこんでいく。スピーカーは”夏祭り”を流し始めた。「君のいた夏は遠い夢の中」まだ失恋もしてないに、その言葉尻に囚われ、気分が落ちていく自分がいた。この気持ちも夢のように泡沫なのだろうか。一瞬で消えていく淡い想いや花火。刹那的な感情を味わいたいだけなら、それでも満足できるかもしれない。でも、僕が楓さんに抱いてる感情は夏に焦がれて燃え始めたものではない。周りに浮つく不安定な炎を想像してみると、落ち着かなかった。居ても立っても居られず、僕はバイクを取りに行こうと財布と携帯を持ち、家を出た。せっかく落とした汗が再び纏わり付いていく。夏もあんまり悪くない気がした。けど、バイクで練習に行くことはもうないだろう。

 

 

 

 

 松島くんと初めて会った時の印象はあんまり覚えてない。みんなより少し合気道が上手いぐらい。それだけだ。彼が私に対して、好意を抱いてることもすぐわかった。女子大生であれば誰でもモテる。愛と恋を区別しなければ。彼が私に向けている感情はどちらか分からなかったが、変に期待させることの面倒臭さを考えると、適当にあしらっておくのが最適だった。しかし、新木場に向かう道中で彼といろいろ話すと、意外と悪い人ではない気がしてきた。異性にあまり手馴れていない言動や性を匂わせない雰囲気。彼に抱いていた面倒くさいという感情は駅に着く頃には無くなっていた。

 彼とは何回か練習終わりに一緒に帰った。練習終わりに香る彼の汗の匂いと制汗剤。学生っぽい爽やかな雰囲気。隣を歩く私の心が純粋な彼の気持ちに浄化されていく気がした。一度練習終わりに、雨が降ったことがあった。夏独特のゲリラ豪雨的の残り物がチラチラと地面をたたていた。私はいつものように折りたたみ傘を常備していたが、彼は傘を持っておらず、途方に暮れていた。汗と雨が混ざるとなんとも言えない生臭さになる。

「私の傘に当たらないように入っていいよ」

どこか躊躇いのある私の言葉。自分と同じぐらいの年齢の人と接するのはあまり慣れていなかった。彼は私の手が届かないぐらいに距離をキープしながら、私の傘の中に入っていた。

 しかし、そこまで大きくない傘。私の肩は少しづつ濡れ、夏の夜風が体温を奪っていった。彼との会話も落ち着いてすることができず、だんだん会話のペースも落ちていた。

「やっぱり、俺持ちますよ」

二度目の彼の言葉。高架橋の下で提示された言葉を私は一度断っていた。なんか異性の香りがしたし、周りからの目線も気になった。それに自分の傘を自分で持たないのはなんか可愛げがないなとも思った。本当にどっちつかずの女だ。

「うーん、じゃー持ってもらおうかな」

彼の素直な優しさに打たれてしまったと言うよりも、気遣って欲しくなかった。私に断られてできていく傷。これほど虚しいものはないだろう。女性は性によって傷つくことはあっても、男性のように愛で傷つくことはない。正直な思いが切り捨てられるのはなんか悲しい。

 真夏の雨が降りしきる中、新木場駅に向かう私たち。雨に濡れた肩は乾いていた。さっきまであった彼との距離は少し近くなっていく。どうしてだろう、私は相合傘に憧れていた小学生の自分を思い出していた。

 

 

 

 夏の残暑も落ち着き始めた頃、僕は楓さんをドライブに誘った。玉砕覚悟で向かって行ったのだが、どういうわけか「いいよ」という返事をもらうことができ、僕と彼女は1日デートをすることになった。正直、拍子抜けしてしまったが、幸せの中に酔いしれるほどの余裕も時間もなく、ひもじい財布を片手に、週末は適度にイケてる服を買うことに翻弄された。オシャレな女性の隣に、芋っぽい中学生男子のようなドラゴンTシャツでは恥を掻かせてしまう。あの時期ほど、ユニクロやZOZOにお世話になったことはないだろう。

 10月の下旬。その日の朝は集合時間の4時間前ぐらいに起きた。ソワソワしてあんまり寝付けなかったというのあるが、憧れの人とお出かけするというのが久しぶりだったので、ちょっと気合が入っていた。とりあえず、シャワーを浴び、いい匂いのするシャンプで頭皮を洗う。髪を乾かし、ふんわりと香るレモン系の香水をつける。そして、いろんなサイトを見て選び抜いた”ちょうどいい服”たちを着ていく。「これなら大丈夫だろ」と言い聞かせながら、自己嫌悪の怪物を呼び起こさないように、いつもより質の良いワックスで、入念に髪型を整える。

 最小限の荷物と本をカバンに入れて、駐車場にある自家用車に乗り込む。年季の入った黒のノート。エンジンをかける時に響く音はどこか疲れているような感じだ。窓を開け、ピースに火をつけ、車内に煙が入らないように口づけをする。朝の冷えた空気と暖かい煙が混じっていく光景はいつ見ても感動的だ。ギアをドライブに入れて、待ち合わせの蘇我駅に向かう。走り出すと、朝日が車内をゆっくり照らしていく。なんかいける気がする。

 国道357号線をひたすら南下していく。”湾岸道路”とも呼ばれるこの道路は東京湾に沿うように走っている。周辺の道路と比べて、比較的大きい道路なので利用者も多い。勿論、運転の荒い人も多いので、初心者が通る時は結構苦戦するかもしれない。免許取立ての頃に間違えて使ってしまった僕は、4トントラックにめちゃくちゃ煽られた。本当にマニュアル車はタチが悪い。いくらエンジンを唸らせても、クラッチは繋げなければスピードは出ない。雄叫びのように、繰り返し鼓膜を叩いてくるエンジン音は僕の恐怖を駆り立てるのに十分過ぎた。まあ、今では鼻歌をしながら走れるようになったけども。

 朝のラジオは道路交通のことばかり流れている気がする。「呼塚交差点から3kmの渋滞です。環状線三郷インターでは・・・」という聞き慣れた地名。気分転換に文化放送にチャンネルを変えてみると、back numberの”ヒロイン”が流れてきた。世間は秋よりも冬に待ち焦がれているようだ。道脇に落ちていく枯葉。車の勢いに舞い散る彼らを見ると、その気楽さを羨ましく思ってしまう。

 

 待ち合わせの1時間前ぐらいに蘇我駅に着いてしまった僕はコンビニで買ったお茶を飲みながら、本を読んでいた。読書しているときだけ心は落ち着く。現実から背を向け、ただ目の前を通り過ぎる文字と光景を見るだけの時間。不条理な物事が現れ続ける現実から飛び立ち、自分と関わりのない世界へ行く。自分と距離のある物語に触れることは気が楽だ。何も考えなくていい。

 9時52分。そろそろ楓さんがやってくる。FMラジオから流れる宇多田ヒカルの”beautiful world”が僕の鼓膜を緩やかに揺らす。世紀末感を漂わすこの曲がなぜこのタイミングで流れてくるのか。エヴァの最新情報でも公開されたのだろうか。どうでもいいことに思考を巡らせていると、遠くから楓さんがやってくる。練習の時に結ばれている髪の毛はゆったりと肩越しに落ち着き、うっすらと色艶のある唇は普段あんまり感じない色気を醸し出している。いつもと違う楓さんにまごつく自分がルームミラーに写る。何も考えず、目をつぶり、コンビニで買った緑茶を用意しておく。自分を忘れ、彼女のことだけを考えること。僕にはそのくらいがちょうどいい。

 

 

 

 

久しぶり笑ってしまった。お互いに同じ飲み物を買って、渡そうとしてたから。

「はい、飲み物」

「ねえ、私も買ってたんだけど」

 私が申し訳なさそうにお茶を鞄から出すと、松島くんはどこか嬉しそうに笑ってくれた。同じことで笑い合えることは本当に貴重だ。小さいことの積み重ねが何かを生み出す。人間関係の発展と崩壊は全てここに繋がっている。ボタンの掛け違いは想像以上に現実に影響をもたらすのだ。

 寧日の雰囲気を纏った蘇我駅を後にし、私たちは南下していく。上りレーンは車の量が多く、混雑しているものの、下りは比較的空いており、スムーズに車を進めている。

 隣にいる松山くんの運転姿。右手はハンドル、左手はギア。気怠そうに操作する彼。いつもの練習の時からは想像できない運転捌きは、私に春に来るようなときめきさを与える。運転中は無音の空間がいくら広がっても気まずくなることがない。また、会話してても目が合うことがないから、普段見ることができない色んな場所も見ることができる。助手席には一人しか座れない。助手席だけが持つ特権を噛み締めながら、どこまでこの道が続くかを考えていた。

 東京ドイツ村は私たちを雲ひとつない晴天模様で迎え入れた。田舎特有の広さを持て余してる駐車場に車を停める彼の仕草は妙にやらしかった。そんな私の妄想に気づくことなく、目の辺りは揉み解しながら、エンジンを切り、車から出て行く松山くん。眼鏡をかけると物凄く目が疲れるらしい。普段から眼鏡をつけていない彼はこういう時しか眼鏡を掛けない。彼は「眼鏡は煩わしい」と言ってるけど、ボヤけている方が煩わしいと思う。そんな小さな言い争いを楽しみながら、長閑な香りに包まれた園内を私たちは歩いていく。この公園にはフラワースポットや観覧車、遊歩道など色んな施設が用意されている。あまり日本ぽさがないけども、ドイツ的な自然に触れられることができる。1日居ても飽きない気がする。お日様が心地よく顔を出している。隣にいる松山くんは少し暑いのか、黒のパーカーの袖を捲っている。男らしい太い腕と服に埋もれた胸板。そこに浮かぶ健康的な血管が私の性癖をくすぐっていく。しかし、乾燥した空気を照らす日差しは園内の雰囲気を和やかにする。性的な香りがあっても、嫌な雰囲気にさせない。ちょうど良い気候と彼の態度にだんだんと惹かれていった。

 

 夕日が少しづつ傾き始めた頃に園内から出て、海ほたるへと車を走らせた。海の上にあるパーキングエリアという近未来的な雰囲気に包まれていそうな場所だが、松島くん曰く「潮風に当たりまくってめっちゃ酸化しているよ」とのこと。それでも夕焼けは非常に綺麗らしい。海の上と下を走っていくアクアライン。海風を切りながら駆けていく車を運転する彼。助手席からの彼は私しか見れない。何度もそれを確認してしまう。そんなことを知りもしない彼の車がゆっくりと駐車場に入っていく。お昼ご飯を食べてなかったので、2階のフードコート的な場所で”いちごクレープ”を買い、それを食べ合いながら、海風なびく海ほたるの屋上まで上がってきた。ちょうど夕日の明かりが水面に差し込んでいた。海は日差しを返すことなく吸収し、まるで私の頬のように火照っている。いつものような穏やかな青さからは想像もできない海。恋と海はどこか似ている。周りにいる子供連れやカップル、老人たちがその風景と同化していく。これほどまでに綺麗な景色を彼と共有できることが嬉しくてたまらなかった。

「はーい、あげるー」

クレープを口に近づけてくる彼。普通のよりも少し厚いクレープの生地。それに纏わりつく苺のソースと生クリーム。単なるクレープも、彼が持つとこんなに魅力的になってしまうのか。私は喜んでその行為を受け取った。ちょっと食べづらいことも、彼が濡らした生地も、どれもこれも愛おしい。微笑んでくる彼を見ながら、この刹那的な幸せとと苺の酸味を嚙みしめた。

 

 海ほたるを後にして、再び千葉方面に戻っていく。太陽が地平線をかすみ始め、闇が空を飲み込んでいく。ネオンの光が主張を強めていくように、私の想いもはっきりとした形として現れる。眠気が彼を襲うたびに、彼の健康的でがっちりとした太ももに手を当てて、少し性的な甘い声で「起きて~~~」と揺った。「事故るからやめてよー」なんて笑いながら彼が言う。想いが共鳴するたびに、意識ははっきりする。

 ガムが欲しいというので私たちは高速道路を降りて、すぐ近くにあるコンビニに立ち寄った。店内は都会のような喧騒とした雰囲気はまったくなく、手持ち無沙汰で暇そうな店員が目をこすりながらレジを打っていた。彼は店内に入るとすぐにトイレに入っていった。店内を見渡し、小腹を満たせるものとガムとほうじ茶とコーヒーカップを手に取り、レジへ向かった。

「お会計、557円です」

眠そうな声に少し申し訳なさを感じる。でも、私が何かできるわけでもない。

「あれ?もう買っちゃったの?」

少し甘ったるい声で彼は後ろから声をかけてくる。そういうところが本当に好きだ。商品とコーヒーカップを受け取り、コーヒーメイカーにカップを入れてスイッチを入れる。湯気の立ったブラックコーヒーがカップに流れていく。静かにカップを満たしていく様子を見ながら砂糖を入れようかと迷っている私。外の寒さに文句を言う彼。

「ねね、ここいいよね」

彼が何を指しているのか振り返って見てみると、そこには朝日に当たっている犬吠埼灯台が写っているポスターがあった。エモいという言葉がぴったり当てはまるそのポスター。「じゃ、今からいこ?」どうしてだろう、心がムズムズした。無意識に出てしまった言葉は本心とかけ離れてはいないけど、私らしくなかった。冷静さを欠いてる。なんでこんな言葉が溢れてしまったのだろう。その時の私は焦りとか嬉しさとか初々しさとか、色んな感情がごちゃ混ぜになっていた。社会のように、複雑に絡み合っている事だけしか分からず、そこから何が起きるかを予測することはできない。きっと、彼は困惑しているだろう。私らしくない言動に。

 

 

 

 

 突拍子に出た言葉。ここまで遠い場所まで来るとは思っていなかった。とりあえず、車で銚子方面に向けて走り出したものの、本当にそこまで行く実感がない。楓さんのコーヒーを少しもらい、体内にカフェインを注入していく。どうして楓さんは「今からいこう?」なんて言ったのだろう。僕の想像していた像とかけ離れたその行動に驚きを隠せない。運転しながら「明日のバイトどうしよ」とか「あのレポート終わるのか?」みたいな自問自答を繰り返し、彼女に対する驚きをどこかへ押しやった。

 利根川の横道をただひたすら走る。楓さんは僕の眠気を紛らわそうと、イントロクイズやカラオケをしてくれた。年が近いと共感できるポイントも多い。あのCMやあのドラマ。小さい頃の記憶は僕たちをより深い所へ誘っていく。車内に響き渡る楓さんの声は色気とかそういう類のものを感じさせない。どこかに紛れてしまいそうで紛れない、目に見えない形のある楓さんの声。彼女のおかげで僕の睡魔をどこかに消えていた。不純物のない感情はくだらない化学反応を起こさない。そういうことだ。そんな風に言ったものの、安全を第一に考え、僕は田舎の寂れたコンビニに車を止め、仮眠(ほぼ睡眠に近い)をとったので、朝の4時すぎに犬吠埼灯台に着いた。彼女のおはようを一番初めに貰った僕。少し掠れたその声が愛おしい。どうしようもない嬉しさを隠しきれず、「なんでニヤニヤしてるの~」と馬鹿にされた。「うるせえ」と笑いながら、車を降りる。固まった体をあっちこっちに伸ばす。鈍い呻き声が体の隅々から聞こえてくるが、そんなことに耳を傾けられるほどの時間はない。横に来た寒そうにした楓さん。さっきよりも距離が近い気がするが、思い込みの気もする。世間から見たら適度でない距離感を保ちながら、海岸線へ歩き出す。遠くにある地平線はかすかに温かみを帯び始めている。空気の揺らぎが少しづつ増していくと同時に、海に色が戻っていき、崖上にある灯台の明かりがだんだんと遠くなっていく。ただ、波の音だけが一定のリズムを浜辺に刻む。それ以外は全てが変わっていく。空も灯台も空気も僕たちも。その場の雰囲気に流れされてしまったのだろうか、気づくと僕たちは手を繋いでいた。お互いのシワがうまく絡み合い、馴染んでいく。もう離したくない。まだ離してたくない。あと一秒という名残惜しさが押し寄せてくる。しかし、時の流れは残酷なものだ。永遠には変化のないものはない。諸行無常の響きが波音とともに耳元を囁いていく。空を飛ぶ鳥は心地よく風を切る。彼らのようにどこかに飛んでいけたらいいのに。全てを投げやって、渡ってしまいたい。そんな未来を頭の片隅で描きながら、楓さんを見る。彼女はいま何を考えているのか。朝日に照らされた犬吠埼灯台は霞んでよく見えていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように3・4番線のホームに上がる。軽い海風が僕の頬を撫でていくが、そんなどうでもいいことに感性を傾けるほどの時間はない。この時間帯のこの駅には隣接するショッピングモールの利用者で満ち溢れている。彼らをうまく避けながら、電車が停車する位置で待つ。

「まもなく、快速 東京行きが参ります。」

湾岸線を走る京葉線は風の影響を非常に受けやすい。沿線民としては不便だが、そういう時は京成線を使えばいいので、決して悪い土地ではない。厳しい花粉シーズンが終わりを迎え、夏のあの匂いが鼻元を掠める時期になってきた。カバンをかさばらせていた箱ティッシュがなくなると、なんだか物寂しくなる。やってきた電車に入り、近くにある端っこの席に座る。弱冷房のかかった車内はそこまで混雑してなく、落ち着いて読書できそうだ。カバンから本を取り出す。ホームに発車メロディの”幸福の銀レール”が鳴り響き、扉が閉まり、ゆっくりと南船橋駅を発車していく。間違って弱冷房車に乗ってしまった人が次々と隣に移っていく。誰かが僕の横に前を通るたびに、この時期特有の甘酸っぱい香りが漂ってくる。シャンプー系やオレンジ系、誰かがつけていた香り。本当にいろんな人が居ることを、香りを介すことで思い出す。乗りなれた電車の風景に興味を傾けることもなく、ただ本に意識を集中する。ページめくっていくごとに駅と風景は移り変わり、物語に意識が落ちていく。 

 東京駅に着き、本をカバンにしまい、乗り換えを目指して長い構内を歩いていく。すれ違う人々。目的のためにどこかへ向かっていく彼らを見ると、孤独が溢れ始め、本来の自分が浮かび上がる。こんなに多くの人がいるのに、会いたいと思う人に会えない東京。それを思い出すたびに心のどこかにある思い出たちが疼く。僕は今を楽しめない。だから投げやりになってしまい、少しずつ失う。そして、消えてから後悔する。ないものねだりの自分。

 東海道線のホームに行くと、夏帆はもうそこにいた。春に似合う主張の少ないワンピース。肩に掛かる髪の毛からはシャンプーの匂いが微かに膨らんでいる。別に楓さんの影を彼女に投影してるわけではない。コンビニで買った冷たい緑茶をカバンから出して、「おはよ」と言いながら渡す。目が合わない。多分、照れてるのだろう。そういうところが好きだ。彼女の手を握り、グリーン席のある車両が止まるところまでいく。汗ばんだ手は二人の幸せをゆっくりと滲ますのだろうか。自己主張の激しい太陽が僕たちの想いを焦がしていく。みんな、何かを求めさせらている。踊らされてる日々に騙せれているだけなのかもしれない。それでも、その人は自分が選んだと言いたい。過去の自分に背中を押されることはあっても、参考にはしない。

冷房の効いた車内に入り、さっき買った緑茶を飲む。そういえば、あの時のデートで買ったのも緑茶だったけ。動き始めた車窓。この町は何年たっても変わらないだろう。「何考えてんのー?」と夏帆は僕にちょっかいを出してくる。夏帆にとったら、東京は見慣れた街なのかもしれない。でも、僕には未だになれることのない場所なのだ。そんな感じで、いつまで経っても僕は自分のことしか考えていなかった。

 

 

人生の墓場へ向かっていく影に

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青春の卒業と言えば聞こえはいいが、人生の墓場と言えば急に虚しくなってくる。あんなに遠くにあったものが少しずつ自分の周りに現れ始め、心の何処かを疼かせる。大した存在ではないものと処理していても、否応無く反応してしまう。自分も招待される年齢になってしまったという事実を受け止められないまま、僕は式場へと足を運ぶ。最寄駅から電車を乗り継ぎ、野田線に乗り換えた。

 

船橋駅はJRでも行けるのだが、たまには野田線も乗ってみたくなったのだ。高校生の時は毎日あのオンボロに揺られて登校していた。美化された記憶にたまには浸かりたかったのだろう。過去はいつも優しい。故郷のように、いつでも受け入れてくれる。思い出に揺られながら乗っていた東武野田線は複線化されており、急行という種別もできていた。彼女と僕の間の中でファミマカラーと呼んでいた10000系の姿もかなりすくなくなっており、当時としては最新設備を搭載していた60000系が今では我が物顔で席巻している。このような形で時の流れを体験すると、三十路の僕でもまごついてしまう。野田線は著しく変わってしまったけど、船橋駅やその周辺はあまり変わってない。道路に面した風俗店も深く息をしており、駅下にある怪しげな飲み屋は未だ緩やかな盛り上りを維持している。京成の乗り換え利用者が若干増えた気もするが、気のせいだろう。

 

 

でも、どうしてそんな場所にしたのか。路地裏の自販機。踏切の前。団地の公園。至る所に思い出が残っているこの場所をどうして式場にしたのだろうか。僕は彼女のその勇気を理解できなかった。

 

どこか居づらい雰囲気を感じ取っていたので、僕は仕事を理由にして時間ギリギリに式場に到着した。まあ思い出に浸っていただけだが。田舎もんには相似にすらないモダン式の式場はみんなを夢に連れていってしまうような雰囲気を纏っていた。みんなそうだ。自分が幸せな時はこんな風に周りが見えなくなる。自分が何でもできると勘違いしてしまう。法に依拠した愛がそんなに素晴らしいものなのか。行政の一部に触れているだけなのに。いや、本当は掠ってもない。溢れてくる妬みの感情を弄んでいると、「ほら早く入りなよ」と知り合いの女が飽きれた声で僕を呼んだ。お前のルサンチマンはとうに消えているもんなと僕の頭の片隅に浮かんだ。

 

 

式場の内容を詳細に書こうとも思ったけどやめた。心地の良い夢空間に身を委ねられるほど、僕は生き急いでない。彼らがそうしてるかは別にして。二次会へと向かうためのウダウダ時間に嫌気が刺したので喫煙所に向かった。アルコールを一滴も入れてない体はヤニを求めていた。はやくニコチンを入れないと。細胞たちに急かされて、早足で向かう。ウダウダタイムを謳歌してる奴らが多かったので、喫煙所には誰もいなかった。余白しかない場所でそっとタバコに火をつけ、深く形のある息を漏らしていく。もし、新郎がここに居たら。きっと「one more chance 」の文言が身体中を迸っただろう。ウダウダが苦手。落ち着いた雰囲気がいい。タバコの混じり合い。自分の成分がどこかに残っているという事を考えてしまうだろう。しかし、現実は優しい。しっかりと希望を砕いてくれる。僕が与えたシミは綺麗さっぱり洗い落とされていた。その証拠に、喫煙所に彼が来ることはなかった。

 

それでも、彼女の親御さんに二次会に誘いを断ることはできなかった。二次会というより、親族間の集まり?と言えばいいのだろうか。少々荒々しいところもあるが、どこか落ち着いた雰囲気はある。参加しても問題ないと思った。もっとも、彼女の親御さんに親切にしてもらったことが多くを占めているのだが。彼女は後から来るということなので、苦手なアルコールをお冷で誤魔化しながら、時間が過ぎ去っていく様を、盛り上がっている片隅で見ていた。

 

想像よりも時間は早く過ぎ去っていく。久しぶりにお酒に身を委ねた僕の結末は哀れなものだった。目をさますと、周りの人たちは消え、店内は恐ろしいほどの静けさに包まれていた。「大丈夫?」というどこか懐かしい声が耳に触れると、浮き上がってきていた睡魔はたちまち破裂していった。あの頃とあまり変わりのない姿が心のどこかを疼かせる。過去にある景色がフラッシュバックし、記憶と記憶に挟まれていた当時の思い出が泡のように湧き出てくる。水を得た魚のように僕は気分が上がってきたが、そんなのも一瞬だった。彼女の薬指にある指輪が全てをもとに戻す。安っぽくて、味気ない指輪。可哀想だなと思いながらも、彼女らしいと思った。

「お酒弱いのにそんな飲んじゃダメだよ」

子供を宥めるように、僕に注意する彼女。過去の遺物に対する接し方としては上出来だった。自分なんぞもうどこにも居ないのだろう。彼女が用意したお茶を飲みながら、僕たちは絡まってしまった赤い糸を治していく。

 

夜は深まっていき、静けさすら休んでいる街を練り歩く。終電はとっくに無くなっていた。タクシーを適当に捕まえて家に帰らないといけない。明日もやれなければいけない仕事がある。14号線を走る平成を漂わすタクシーを拾い、乗り込む。1万円ぐらいで帰れるはずだ。車内に入ると、睡魔が急激に襲ってきた。

 

彼女は僕に色々語ってくれた。ここに表せきれないほどに。来年には子供が生まれること。家を買いたいこと。新郎に叩かれること。あっちの親と折り合いが合わないこと。僕との付き合いが一番楽しかったこと。そして、過ぎ去ってしまったことは仕方がないこと。結婚をした彼女を前に僕が語れる言葉は何もなかった。ただ、うんうんと頷きをして、彼女のサンドバックになるしかなかった。女性は本当に強い。咲いてしまった場所で必死に生きることができる。どうしてなのか。

 

タクシーのおっさんがもう着きましたよと乾いた声で言う。ラジオから流れる川谷絵音の「夜汽車走る」は夜道を走る車にはぴったりだった。家に帰ったら、原稿を見なさないといけない。財布から1万円を抜き、おっちゃんに渡す。お釣りはいらない。精一杯の強がり。僕はこういう小さな意地を張ってしまう。色落ちしてしまった糸。無色のこの糸をどうすればいいのか、僕は悩みながら家の方へ歩き出した。結び目を解きつつ、まっすぐにどこかたどり着くように。

 

 

東京に巣食う人

・中央特快 パパ活

神田駅の前にあるネカフェはいつ見ても東京らしさを醸し出している。薄暗いながらも、人の影が絶えない。ずっとそこに何か、誰かがいる感じ。ホーム上で携帯を弄りながら、視界に入ってくるネカフェ。自分はまだ東京に染まっていないんだなと何故か安心させてくれる。勝手に安心させているに近いかも知れないけど。くだらない思考遊びをしていると、高尾行きの中央特快がホームに流れてくる。のっぺりとした先頭車は東京を歩き回る人たちと似ている。優しそうで冷たい人たち。手探りのし過ぎで、何もかもが中途半端になってしまった彼らを誰も責めることはできない。車内に入り、カバンから文庫を取り出し、また思考遊びへと勤しんでいく。ネカフェは徐々に視界から消えていった。

 

御茶ノ水から乗ってきた二人組は僕の隣に座った。顔と服装が噛み合わないロングヘアーの女子大生と50代近くのメガネをかけたおっさん。本来なら混じり合うことの組み合わせ。彼らの前にあるキャリーバッグ。ATMだと思ってくれと笑いながら、肩を叩くおっさん。乾笑いしながら、否定する女子大生。どうして、こんな事をしてるのだろうか。僕には理解できない。ニセモノみたいな喜劇をどうして出来るだろうか。観客は誰もいないし、ましてや評価なんかされない。彼氏は元気?変わってない?元気ですよ、奥さんの持病は平気ですか?いやいや、それがピンピンしてるんだよ、笑っちゃうだろ?演技にしては縁起が悪すぎる。胃がくるくると、痛んでいく。イヤホンを耳に打ち込み、読書へと意識を向ける。しかし、彼らが降りる新宿駅まで、僕の意識は彼らに向かっていた。これからスーパーあずさで松本に行くらしい。随分、安い売春だなと心の僕は嘲笑っていた。東京に汚染されつつあることを知らずに。

 

 

 

 

 

 

・今日ぐらいは

バイトが終わり、たまプラーザ駅に向かい、区間急行の電車に乗った僕は課題の新書を読んでいた。カントの平和?ルソーの政治哲学?聞き慣れない単語を反芻しながら、頭に知識を植え付けていく。いつか芽がでると信じて。二子玉川を過ぎると、徐々に混雑率が上がっていく。急行にすれば良かったと後悔しつつも、次の急行は押上行きだったので、仕方なかったのだ。北千住までいく急行を待っていったら、帰るのが遅くなってしまう。今日はバレンタインなので、待ち合わせに遅れるわけにはいかない。まあ彼女のバイトが終わってからなので、そこまで急ぐこともないのだけど。美紀は意外とこういう記念日みたいなものを大事にする。維持できている関係性を意地を張って、強固なものにしようとする女性心理。法律の方がまだ簡単な気がした。

 

 

駒澤大学駅に着く頃には、車内は独特な蒸し暑さが生まれ始めていた。頭を軽く回し、凝りを和らげる。そして、また本に集中しようとした時だった。目線を落としてしまったところに元カノがいた。正確には元カノと今カレ。きっと今乗ってきたのだろう。カバンを降ろし、 発車する電車。彼氏に寄り添いながら電車の揺れを耐える。ショートへアーに変わったこと以外、なんら変わりない言動。彼女のことを考えると、過去に吸い込まれそうになっていた以前の自分が蘇ってくる。

 

懐かしい思い出なんて、毒でしかない。そう考えた僕は彼女と繋がるものを全て断ち切った。全てを清算するに要した5年。若さをぶっ壊された気がした。それから程なくして、気になっていた美紀と付き合い始めた。彼女の要素は消えつつあった。

 

読書に集中していた僕は二人のことを忘れていたのだが、曳舟駅を過ぎたあたりで周りを見渡してみると、一人で席に座っている彼女がいた。どうせ次の北千住で降りのだろう。彼氏か誰からか借りた本をカバンに入れていた。他人の思想を素直に受け入れる彼女のことだ、どうせ今彼の骨や肉になりつつあるのだろう。まあそれはそれで幸せそうだ。羨ましさすらある。

 

電車が北千住に着くと、多くの人に合わせて彼女も降りていく。僕も降りていく。改札口を出る。僕もでる。そして常磐線に乗り換えていく。しかし、改札口でエラーを起こす。残高不足?それともなんだろう。イライラしたリーマンに舌打ちされる彼女。駅員に話しかけることをできず、まごついてる彼女。遠くにいる僕。東京の洗礼を受けていく彼女はどうなっていくだろう。優しくて、どこか脆い彼女をこの街はきっと格好の餌にするだろう。でも大丈夫だろうきっと。頼りたい人がいる。頼れる人がいる今の彼女なら。思い遣りのか無駄遣いをしようとした自分を慰めるかのように、僕は床がベタついているラーメン屋に向かった。今日ぐらいはライス大とチャーシュー5枚にしても、バチは当たらないだろう。

 

 

 

 

 

思考の垂れ流しin19/2月

同じところにずっといる。ぐるぐるループしている。毎日ではない。多分これは家みたいなものだろう。いつも通り、6時に起きて、開店と同時に喫茶店に入り、9時まで勉強する。ものを書く。9時半からバイトして、その後夕方から仕事をする。そして、帰宅して飯と風呂を乱雑に済ませて、また勉強をする。読書をする。移動時間も読書をする。いつも何かをしている。

生き急いでいる。ここにいたらダメだ、このままじゃダメだ、誰にも相手にされない、キモがられる、振り向いてもらえない、頼れない、一人で生きるしかいない。そんな感じで生きている。別に辛くないし、大変でもないし、世の中を良くするという大義名分のもとでやってるからマウントも取れる。

 

ただ、たまに来る過去からの思い出に心を引き裂かれる。

 

過去からの襲来者を挙げるとキリがないから割愛するが、かなりの強敵ぞろいだ。毎回なんとか打ち負かしてるが、戦後のダメージはひどい。1週間は動けない。そういう時はゆったりとしないといけない。誰かを頼らなくちゃいけない。

 

しかし、世の中はそんなに甘くない。かさぶた部分にピンポイントで社会は攻撃してくる。痛いと言っても、それが社会だと宣ってくる。そういう時にさっき言った「ループ」タイムに入ってしまう。家に引き込まれる感じだ。

 

 

「想像力がない」っていうやつの想像力はどうなっているのだろうか。その言葉に罪が何とどうして言えるのだろか。

 

「頑張れ」ってなんで言えるの?文化資産や素養がない人間は頑張れないのに。

 

 

「辛い」ってなんで言えるの?友達もいるし、彼女も、親も、兄弟もいるやん。

 

 

「死にたい」ってなんでいうの?君を必要としている人はいるのに。

 

 

「会いたくない」って言う人をどうして追っかけてしまうのだろうか。僕たちの心の奥底にマゾに準ずる何者かが眠っているのだろうか。誰もが幸せになれない。しかも、それが自分自身のせいであるという責任性。誰にも転嫁することなどできない。みんな自分が悪い。そう、お前が悪い。誰のせいでもない。お前だけが悪いんだ。一人になったのも全部自己責任。

 

 

40代までは生きようと思っていた去年。30代までに何者もなれなかったら転生しようと思う今。

酸素の無駄遣いという言葉が似合うのは自分しかいない。とりあえず、あと8年は生きるかという解決方法を今日も試みてみたけど、今回はできないみたい。

 

過去の宝物を捨てることができればどれほどいいのだろうか。過去なんか毎日忘れてしまえばいい。あの日のためだけに80年生きることなんて馬鹿馬鹿しい。消え去ることは自分にも、みんなのためにもなる。徳しかない存在しない、死をどうして恐れるのだろか。

記憶の鮮やかな片隅に

 

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記憶はいつも濃い化粧をしている。先日、中学の同級生に久々に会った。当時の僕は猿ような言動からか、カーストの下層に位置するいじられ担当を担っていた。勿論、女子たちには煙たがられ、キモいという言葉がいつも僕の周りをウロついていた。しかし、クラスで目立たない彼女は僕を拒むことなく、話してくれた。色々と相談に乗ったり、夜遅くまでメールをしたり、勉強を教えたりしていた。修学旅行や校外学習も同じ班だったので、それなりに仲は良かったと思っている。卒業後もメールとかラインとかしていたが、高校は別々だったので、10代特有の距離という儚い壁に敵うことなく、季節が濃くなるにつれ、二人の関係性は枯れ葉のよう朽ちていった。

 

*年明けぐらいにインスタに流れてきた投稿。どんな内容の投稿かは忘れた。ただ、横になりながら携帯を見ていた僕はなぜかその投稿に目が止まってしまい、その彼女らしい懐かしさに駆られて、メッセージを送ってしまった。当たり障りのない誘い文句を考え、ご飯を誘ってみた。断られるかとも思ったが、なんの躊躇いもなく「いいよ」という返事を貰った。非モテの僕は、言い方はかなり悪くなってしまうが、少し味気なかった。だいたい女の子は誘いを断ってくるものだし、こんなに呆気なく約束を取り付けることができるのはなかなかない。いや、もしかしたら、僕なんかによく会ってくれるなあという自己嫌悪のせいかもしれない。それでも、頭の中にある懐かしい清楚な記憶を思い出すと、なんだか会うのが待ち遠しくなった。

 

待ち合わせ時間も決めずに、当日はやってきた。昔みたいにしっかり予定を立てる真面目さはまったくなく、時の流れを感じざるを得ない適当さに、頬が柔らかく揺らぐ。適当に仕事終わりに最寄駅で待ってると、彼女はやってきた。少し疲労の色が見えるものの、記憶にある姿とほとんど同じだった。似つかわしい大人の雰囲気を纏っていたり、言葉遣いの粗さ、髪の色などは変わっているけど、本質的なもの当時のままだった。人間というものはどんなに後天的なものに犯されても、先天性には抗えないのだ。いや、杞憂なだけか。

 

彼女との時間はあっという間だった。6年という時の流れに翻弄されても、僕たちの中にあったモノは腐敗することなく、カケラとして姿を残していた。最寄近くにあるそれほど敷居の高くない大衆居酒屋に入り、散らばったカケラを組み合わせるように話した。そして、完成したパズルを見ながら、今と未来を話し合った。オレンジやコーラ等のソフトドリンクしか飲んでいないのに、時間は驚くほど早く過ぎていった。さっきまで居たリーマンたちは消え、店内にはやさぐれたおじさんとリアルを憂う学生しか残っていなかった。あっという間な時の流れに、どうして6年もの隔たりが出来てしまったのだろうかと考えてしまう。高校生の時に何度か遊びに誘おうと思ったことはあった。けど、同時の僕は常時金欠だったし、彼女もいた。どんなに色が無くても、高校生ぐらいの浅はかな知性ではそれがどんな色なのかを求めようとしてしまう。思いは儚く、薄れていき、意識することすらなくなっていった。だが、人生は不思議なものだ。消え掛かっていたものが突然、浮かび上がってくる。運命はよく知らないけど、もしかしたら、赤い糸ぐらいは小指にかかっているのかもしれない。誰に繋がってるかは分からないけど。

 

次の日に支障が出ないように、11時過ぎにはお店を出た。店内には蔓延っていた騒音は消え、アルバイトの子達が小話をできるほどになっていた。割り勘で会計を済まし、外に出る。さっきまで彼女に見え隠れしていた疲労の色は消え、時間が織り成した微妙な距離感は、肩が触れ合うまでに解けていた。田舎独特の木々の匂い。終電間近の踏切の音。僕たちの間を流れていった三時間は夜風の冷たさをはっきりとしたものにしていた。

路時を抜け、駅に向かっていると、最近できたビジネスホテルが目の前に現れる。こんな田舎にできてしまったホテル。僕たちの頃には想像もできないほど、遠いとこに来てしまったこの街。変わらないという言葉に寄り添う僕たち。田舎にある変化を毛嫌いする風潮は頑固汚れのように染み付いている。ここに泊まってみたいねっていうという彼女。お世辞のような理解を示す僕。悪どい勇気を持てば、この街のように遠くへ行ける。

 

*ただ、刹那に唆されるほどの脆弱な僕でもない。ホテルを通り過ぎ、改札口に向かう。肌を突き刺す深夜の寒さは止むことは無い。「今年の冬は例年より寒いのかな」と彼女。そんなの毎年言われてるやんと思いながらも、その言葉が僕の中の彼女らしくて笑った。人々はまちまちになり、どんどん別れの言葉を交わしながら消えていく。さよならを弔い、またねを伝えあう。乾いた空気が言葉によって揺蕩う。次はドライブとかしてみたいなと思っていた。ドライブはお互いの距離をうまく調節してくれる。お台場辺りがいいのかな。彼女の薄っすらと紅く染まった唇を見ていると、記憶が今に回帰していく。