Fact is stranger than fiction by ドン・ジュアン
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「週刊SPA!」と対話した女性に思ったこと

 

最近、話題になっている”週間SPA!”が転載した「ヤレる女子大生ランキング」の問題。今日の昼過ぎ、その記事の謝罪に関する話し合いが行われたらしい。

 

約2時間ぐらい行われた話し合いは、謝罪というよりも、「どのような経緯で記事になったか」や「記事にするに辺り疑問が出なかったのだろうか」を重きにおいて、話し合われたそうだ。

 

前置きはこの辺にして、今回はこの問題に関して個人的に思ったことを述べていきたいと思う。本当にただのボヤキなのでこんな意見もあるんだなって感じで。

 

・性的同意性の難しさ

「セックスを扱うときは必ず性的同意についても触れて欲しいと提案しました。女性の意思を尊重しながら性をどう描いていくか、これから編集部内で話し合うそうです。その結果をシェアして欲しいとお願いしました。今後SPA!がどんな記事を出していくか、しっかり見ていきたいと思います」(山本さん)

SPA!「女性をモノ扱いしていた」と女子大生らに直接謝罪。声あげる組織立ち上げ | BUSINESS INSIDER JAPAN

 

この新しい動きを提案したのすごい。

 

うーん、これは少し難しい気もするなぁ。確かにこういう感じでいくのが素晴らしいが、みんながみんな真面目な誘い方を期待してるわけでもない現実がある。非現実的なお誘いを待っている人もおるし、セックスがコモディティ化しちゃいそう

 

 だよな、、、こういうセックス上のリアリティを欠いた性を好きな人もいるんだよな難しい、、、

 

 

 

この同意というものは非常に際どいラインだと思う。そりゃ慣れていれば手に取るように分かるかもしれないが、性に疎い人はこのラインを見分けることができないだろう。

確かにある雰囲気的なものを嗅ぎ取って判断するってのは、お互いに不透明要素が強すぎる。痴漢冤罪とか見てもらえばわかると思うが、男性は基本的に性的弱者である。この女性側に寄っている同意の価値観に踊らされてしまう可能性は回避できない。

また、性というものはリアリティに寄っているので、これ以上リアルな要素を強めようとするのは時代に反している気もする。もともと、本質的な性の営みというものは閉ざされた世界で行われるもの。リアルから離れた祝祭雰囲気の中で、壁を紡ぎ、愛を分かち合うものは性の形であろう。それなのに、二人の中で成熟していく物語に法的処置などが孕んできたらどう思うだろうか?興ざめするどころでは済まないだろう。

 

しかし、同意というある一定のラインを明確に設定するのは大事だと思う。ただ、このラインが女性側視点で引かれたり、完全にリアルと同化してしまうと、性というものが恐怖を越した存在になってしまうだろう。

 

 

・船に便乗する可能性

 2017年にアメリカの映画プロデューサーのセクハラ疑惑を受けて、ある女優が自分と同じような被害を受けた女性たちに向けて「MeToo」というメッセージを発したところから始まっている(詳しくは自分で調べてみてくれ)

確かにセクハラ被害を集団で声にすることはとても効果的だが、日本でのこの活動には問題点がある。というのも、性の慎重に扱われなければいけない嫌味的な部分(遡及的にでも対象を駆逐していく性独自の善パワーの凄まじさや本質よりも依存対象に引っ付く性質)が前面に押し出されてしまったために、ヒステリー化になってしまったからだ。内容よりも依存性に重きが置かれ、とりあえず自分たちの傷を共有し、冷静さを欠き、石を投げる了承を得たら、即刻投げる精神スタイルはレイプ的なものとあまり変わらない気もする。正直、かなり厄介な性質だと思う。

あと、性的問題にありがちな右か左かに寄ってしまう問題もある。このような燃えやすい素材は誰かを攻撃するための燃料としての機能に回ってしまう可能性が極めて高い。

何かの色に染まってしまうことだけはどうか気を付けてほしい、、、

 

・そもそも矛先が違うのでは?

女子大生に性的雰囲気を纏わせた敵を見つけるべきな気がする。そもそも、ヤレるとか性的同意とか以前に、「女子大生はヤれる!」みたいな言説を位置付けた奴を批判していかなければいけないのではないか?本屋に並ぶ恋愛工学やエセ心理学に基づいたナンパ術。サブカルとは言えないこの類のものに目を向けないのはどうしてだろうか。

 

・ヤレるランキング=レイプが多いのは誤り

そもそも、ヤル時点で互いの同意がなければできないのでは?確かに無理やりみたいなこともあるが、ヤレるランキングが高いからレイプや性的同意が取れてなさも比例していることはないと思う。しかも、ヤレる=セックスをする上で、リスクや責任などをしっかり理解して、行為に及んでいる人が多いという認識もできるし、必ずしもランキング上位の女性がレイプのサンドバックになっているわけでもないと思う。

 

・冷静さを保ちながら、新たな道を開いた素晴らしさ

下の引用は山本和奈さんのものです。

こちらの意見を押し付けたり、「私たちVS雑誌」、「女VS男」にはしたくない。今後の対策、問題の根本解決について話し合えたらと思っています。編集部の1人を説得することもできなければ、社会を説得することはできない。逆に1人が説得できたら、みんなに伝わるんじゃないかと思っています。 

週刊SPA!編集部「女性をモノとして扱う視点があったと反省」 署名を集めた大学生らと直接対談 | ハフポスト

 

電車のつり革、コンビニの雑誌売り場。誰でも、子どもでも見える、手に取れるところにこういう雑誌がある。それを問題視しているんです。

メディアの影響は大きくて、見ているつもりがなくても見知らぬうちに目に入ってしまう。女性は軽視されることに慣れてしまって、声を上げにくくなる。4歳の時から女性がランク付けされているのを見ていたら、それが問題だと思わなくなってしまいますよね。

日本では女性をモノのように扱うこと、性的に扱うことは人権問題だという概念が浸透していない。だから「何がいけないの?」「こんなの他にもたくさんある」という声もある。

でも、海外文化に接したことがある人たちには、違うように見えている。外国から人を呼んだ時に、コンビニにこんなタイトルの雑誌があるのが恥ずかしい、と言われているんです。

週刊SPA!編集部「女性をモノとして扱う視点があったと反省」 署名を集めた大学生らと直接対談 | ハフポスト

 

雑誌の廃刊が問題の解決だとは思っていません。こちらの意見を押し付けたり、「私たちVS雑誌」、「女VS男」にはしたくない。今後の対策、問題の根本解決について話し合えたらと思っています。編集部の1人を説得することもできなければ、社会を説得することはできない。逆に1人が説得できたら、みんなに伝わるんじゃないかと思っています。

 

週刊SPA!編集部「女性をモノとして扱う視点があったと反省」 署名を集めた大学生らと直接対談 | ハフポスト

 

今まで看過されてきた週刊誌の記事に意見を主張したのは素晴らしい。普通の人ができることじゃないし、今までの最近までの女権運動とは違う冷静さを持っていて、正直驚いた。二項対立では解決できないこの問題の奥深さをしっかり理解してるのはなかなかいない。新しい道が開けそうな気が。

 

ただ、こういう素晴らしい運動は大抵、変な偏った組織の波に飲まれがちなので、そうならように、凝り固まった性問題を改善していければ最高だなと思いましたね。

 

 

 

 

 

海に一番近かった駅『下灘駅』で出会ったこと

 

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 道後温泉を堪能した僕は伊予鉄を使い、松山駅に向かった。路面電車だから大したことないだろうと侮っていたが、実際に使ってみると、意外に便利なものだ。歴史を感じさせるブレーキ音を響かせながら、ひっきりなしにやってくるオレンジ色の車両。ここ松山の地は伊予鉄が牛耳っていると言っても過言ではない。路面電車の他に、三方面に伸びる伊予鉄。多くの松山市民はJRよりも伊予鉄を利用し、目的地に向かっていくのだろう。

 駅員さんに切符を見せ、松山駅構内に入っていく。地方感溢れるその構内には三つのホームが設置されており、1番線には宇和海号が停車していた。関東民からすると、ごく普通の顔と車体だが、世界初の振り子付き気動車を持っているこの2000形は四国特急の顔として、市民や観光客を健気に運んでいる。まあ今回は乗らないんだけども。

 階段を上がり、3番線に降り立つと、すでに電車が停車しており、多くの学生やご年配の方で賑わっていた。15:35発の伊予灘経由の八幡浜行き。これから、日本一海に近い駅だったところに向かう。

 

 傾く夕日に照らされながら、ひたすらに南下していく。睡魔に襲われながらも、僕は本を読んでいた。隣に座る女子高生はセンター試験の最後の追い込みをしており、また反対に座るおじさんは目を細めながら一眼レフを見ている。みんなそれぞれの物語の中の途中が重なっただけなのに、どうしてか虚しさを感じてしまう。終わりではないのに、再開という文字が全くでてこない。旅というのはそういうものなのかもしれない。

 伊予市を過ぎると、徐々にローカル感を匂わせ始める。足元にあるエンジンが唸りを上げながら林の中を堂々と進んでいく。古き良き昭和の時代を予感させるディーゼル車に僕は心踊らせていた。電車の頑張り具合が手に取るようにわかるし、モーター且つ日本製の電車の性能の高さを見ることができる。電化区間では味わえないこの実感は四国ならではの良さかもしれない。

 車窓には少しずつ伊予灘の海が現れてきた。その海がチラつく度に、向かいの女子大生は嬉しいそうにキャッキャッする。二人で喜び合って自撮りしたり、互いを撮りあったり。それを見て僕はウッフウッフする。別に性的な匂いとかではない。男は本当に単純だからそう思ってしまうだけなのだ。

 

 電車は16:35分頃に下灘駅に到着した。松山駅を出た時にはまだ空を掠めていた太陽は、地平線に近づき、眼下に広がる伊予灘の海を赤く色付けている。車掌さんに切符を見せ、ホームに降ち、現実離れした風景に圧倒されていると、電車はまた凄まじいエンジン音を鳴らしながら、伊予大州方面に走り出していった。ホームは元の静けさを取り戻し、鳥たちの鳴き声や花壇に咲く花たちのささやきが旅人の心のどこかを撫でていく。駅にはさっきの電車に乗っていた人たちが、4人ほど下車しており、別れを告げている太陽に心を奪われているようだった。

 僕は手にしているカメラで下灘の風景を一枚一枚フィルムに収めていった。駅名標や花壇、ホーム後方にあるミラーやホームのベンチに座るカップル、珈琲屋の店主や地元のマスコットキャラ。その風景に馴染んでしまう人たちを撮るのは本当に面白い。駅の黄昏が今では思い出せないような想いや場所に重なり、心にある虚像に輪郭を与えてしまう。その人に潜む侘び寂びが無意識に浮かび上がり、自己が乗っ取られていく。これをエモさと言っていいのかは定かではないが、下灘駅にはそういう精神と身体を揺らがすものがある。僕の一眼レフの中にも気付かぬ内に撮っていた写真がいくつも残っていた。

 

 

 僕はベンチに座り、近くにあるコーヒーショップで注文したホットコーヒーを、孤独を癒すように啜っていた。次の電車は60分後。周りの人たちも写真撮影に飽き、椅子に座り、他愛のない話をしている。隣の女性は疲労の雰囲気を滲ませながら、目の前に広がる海を眺めていた。僕も携帯弄りをやめ、海を見た。太陽はすでに地平線と接しており、愛媛みかんのような色に変化している。

「どうして夕日はオレンジなんですか?」

隣の女性は少し訛りのある感じで、僕に自然科学の問いを投げかけてきた。夕日に照らされ、はっきりと顔を見ることができない。細身の姿がシルエットとして写されているだけだ。頭を回転させ、不勉強がバレないような、それっぽい答えを見つけ出す。

「オレンジが一番遠くまで届くからじゃないんですかね」

「それなら夕日は赤色になりますよ」

彼女は分かっていて聞いてきた。なんて罪深い人なんだろうと思った。けど、不思議と嫌な感じなかった。ほんのりと香るみかん系のシャンプーが海風に乗ってやってくる。香水のような自己主張さはなく、そこに寄り添っているような匂い。エモさがどんどん体を蝕んでいく。

 それから下灘駅のホーム上の椅子で、僕たちはいろんな話をした。どこから来たのか、どうやってきたのか、どこでここを知ったのか。でもお互いに名前は聞かなかった。旅の中で会う人なんてそんなもんだ。その刹那的な触れ合いこそが旅の醍醐味なのかもしれない。彼女という存在は僕の中ではあの匂いとしてしか残らない。でもそれでいいのかもしれない。

 

 すっかり太陽も地平線に帰宅し、ホーム上の電灯が目立つようになってきた。ディーゼル車独特のエンジン音を鳴らしながら、松山行きの電車が入線してくる。一両編成の電車には多くの学生が乗っているかと思ったが、「高校生たちはほとんど内子線を使うからね~」と彼女が言っていた通り、やってきた電車の車内にはほとんど人がおらず、まさに下灘駅の人を乗せるためだけの電車になってる。ホームに停車して、ドアが開く。ホーム上にいた人が次々と乗っていく。停車時間はかなり短い。彼女にお礼を告げて、僕も乗ろうとすると、後ろからシャッター音が聞こえた。

「なんか面白くて撮っちゃった」

少し聞き慣れないイントネーション。””またね””の挨拶を交わし、適度に暖房の効いた車内に乗り込む。僕が乗り込み、椅子に座ると、程なくして電車は発車した。電車は慣れたように下灘駅を離れていく。この素晴らしい風景も日常化したら味気ないものになるのだろうか。物足りなさと悲壮感に苛まれながら車内を見渡していると、バイブで携帯が震えた。誰かからのメッセージだろうと思い、悴んだ手を必死に動かして、ポケットから出し、携帯を確認する。そこには”airdrop”からの通知が画面に表示されていた。

 

みんな傷ついてる

彼の家の庭には健気に栄養を貰う幸せのタネが1つありました。その家に住む青年はそのタネに毎日、水をあげてました。雨の日も風の日も雪の日も。欠かすことなく、彼の日常の中には幸せのタネはいました。青年の心のジョーロでは一つにしか水をあげれません。これはみんな同じです。わずかにしか溜まらない心のジョーロ。他人を労わるほどの能力は彼もジョーロも持ち合わせていませんでした。

   そこに一つの幸せのようなタネが現れました。どっから来たのでしょうか?この広い空の下、なぜここにやって来たのでしょうか?最初のうちは可愛いな程度に彼は思っていました。幸せのタネを愛してた彼にとって、幸せそうなタネは眼中にありませんでした。しかし、禍々しいほどに魅力的なタネ。日を重ねるほどに少しずつ愛情は薄れていき、恋の病に苛まれていきました。そして、幸せそうなタネに心奪われた青年は今までのタネに別れを告げて、新しいタネに心を向かわせていきました。何のためらいもなく、幸せなタネに何も言うことなく、過ごしてきた日々を水に流しました。

   彼とそのタネはとても幸せそうです。彼らの世界では痛みがお金のよう交換できるし、価値のものだそうです。痛みは共用的で、感情を燃やす燃料みたいなもの。ネットで毎晩叫び散らすフェミニストや片方の翼を折られた活動家を見れば明らかでしょう。幸せそうなタネは彼を飲み込み、痛みで世界を覆いました。二人はその痛みの蜜を互いに吸いながら、先の見えている道筋を、目を合わし、看過しています。

    

しかし、本当の痛みを持つものは誰でしょうか?

 

   それは幸せなタネと幸せそうなタネを今まで面倒見ていた方です。彼らの痛みは相当なものです。僕たちの想像力では到底理解できないものでしょう。それに比べれば、彼らの痛みなど陳腐で、幼稚なものです。自らの選択肢で傷つけ、傷つけられることで得た痛み。その傷跡の蜜を吸って、癒し合うことができるでしょうか?果たしてそれは本当に蜜なのでしょうか?色が同じだけで、膿ではないでしょうか? 

 また、彼らは傷つけていることも忘れてはいけません。たしかに無意識的に傷つけてしまうことはあるでしょう。だからと言って、配慮の精神を忘れてしまうのはおかしくないでしょうか?生きている限り、傷つけることを当たり前にするのは不快じゃないですか?ジョーロの使い方や扱い方ももちろんですが、他人を傷つけないという事も大事ではないでしょうか?

   しかし、彼らにはこの言葉の揚げ足を取ることしか出来ない。中毒性のある甘美の優れた蜜は賞賛しない人間を排除する。舌触りの良い物事しか、体に取り込まない。栄養不調を引き起こせば良いのに、と思いながら彼女に水をあげています。

365分の1

 

 365分の1の存在をどうして特別な物しようとするのだろうか。クリスマスが平日になってしまったのはいつだろう。年が変わるからことに大した意味がないと思い始めたのはいつだろうか。何気ない日が増えて行く悲しみをおかずに、無心に年越し蕎麦を胃に流していく。長生きするために食べてるのではないのは言わずもがなだろう。

 

 今日も朝6時半頃には家を出て、バイト先の近くの喫茶店で仕事をした。いつものように、ブレンドコーヒーを頼む。いつもの店員さんと「頑張りましょうね」と励まし合う。もちろん、彼女とはそれだけの関係だけだ。常連だから何も言わなくてもコーヒーが出てくる、なんてこともない。ミルクはたまに入れてくれるけど。

 席に着き、ミルクをコーヒーに流し込んでいく。ミルクは最初、輪郭をはっきりとさせながら距離を保っているが、次第にその黒さと交わっていく。そして、程よく浸透し合ったタイミングで口に含んでいく。我ながらいやらしいと思う。

 閑散とした2階席で飲むブレンドコーヒーはいつもよりも苦い。窓側の席に佇む年配のおじさん。壁側の席でマックをぽちぽち叩く僕。その空間に二人しかいないという現実はなかなか寂しいものがある。いつもなら色んな多くの人が行き交う東京。それが、年末になると恐ろしいほどに人は少なくなる。自分以外どっかに移住してしまったのではないのか?そんな恐怖に何度も苛まれた幼少期の自分。どこを探しても、そんな純朴は僕はもういない。

 

 8時間ほどの勤務を終えて、外に出てみると、おひさまはもう地平線に潜っていた。今年最後のサヨナラを言い忘れてしまった自分に嫌悪した。そして、ラインに返信を送ってきてないアイツにも腹が立った。イヤホンを耳にぶち込み、エモいソングを流す。どうでもいい人間。どうでもいい年末。全てが嫌になっていく。帰りの電車で簡単に座れるという現実がさらに僕を追い詰めていく。

 お店に残っている不味い惣菜たち。タイムセールのオンパレードで半額以下になっている菓子パン。どれもこれも、胃の中に入ってしまえば同じだと言い聞かせながら、カゴに入れて、レジを通す。

 提灯が犇めく裏路地を通り、自宅へ向かう。あと1時間ぐらいすれば、365分の1に浮かれた俗な奴らがこの辺を支配するだろう。どうしようもない。でも、本当にどうしようもないの僕の方だろう。どんなに異性と遊ぼうとも、飲もうとも、ドライブに行こうとも、ヤッても、大晦日に隣に誰もいなければ意味がない。テレビ横に飾ってあるダッフイー。妙に視線を感じる。そういえば、夢の国は今日だけは眠ることなく、開園しているらしい。

2018年に読んだ本をまとめてみた

  朝、自転車を漕いでいると手の感覚がなくなっていく。「寒い」と言うたび、近づいてくる除夜の鐘の音。 小さい日常的なことでしか、年明けの足音を感じなくなったのはいつだろうか。もういくつか寝ると年が明ける。

 成人式から始まった2018年。社会全体が予想外の出来事に翻弄されてきた年だった気がする。いい意味でも、悪い意味でも。僕の一年もそんな感じだった気がする。終電逃して、泣く泣く利用した初タクシーに1万払ったりとか、彼氏いるのに浅草デートさせられたりとか、あるベンチャーで働いたりとか、ある有名な試験に受かったりとか、好意を抱いていた女の子に運転中に噛まれたりとか、鈍行乗り継いで仙台行ったりとか、一眼レフ片手に一人ディズニーしたり、日光弾丸旅行(二回ほど)したり、元カノと飯行ったり、行為中にコンドームがいきなり破けたりとびっくり仰天の一年だった気がする(フェイク混ざってます)

 さて、独りよがりな話はこの辺にして、今日はそんな険しい(?)道のりを一緒に歩いてくれた、たくさんの書籍たちを紹介したい。本を読むことは高校生の頃に習慣化され、そこから五年近く続いている。どの出来事も彼らと自分の記憶と結びつき、イベントそのものを強固な存在として脳内に留めされる役割として、彼らは機能している。しかし、この飽き性の僕が長続きしている趣味なんて片手で数えるほどしかない。本という知的なものに憧れているのか、はたまた学歴コンプから現れる劣等感からなのか。

 そんなことはどうでもいい。そして、この硬い感じもやめたい。もっと肩の力を抜こうぜ!

 こいつこんな本読んでるのか、こんな本あるのか、みたいな。気楽に読んでみてください。別に読んで欲しいとかじゃなく、こんな本もあるんだなみたいな感じで。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どのように紹介しようかなと考えたんですけど、とりあえず、今年読んだ本を列挙してみます。自らの視点では発見できない書籍を発見するのにはこの方法が一番だと思いますし。(本棚に見当たるやつだけです、、、たぶんもう少しあると思いますが、今回は省きます、、、)(また新書などは外して、小説だけにしました。)

 

蒼くて痛くて脆い (住野よる

1ミリの後悔もない、はずがない  (一木けい)

悲しい話は終わりにしよう (小嶋陽太郎)

友達だねって感動してよ (”)

じっと手を見ろ (窪美澄

やめるとしも、すこやかなるときも(”)

夜のふくらみ(”)

水やりはいつも深夜だけど (”)

コンビニ人間 (村田沙耶香

僕たちはみんな大人になれなかった (燃え殻)

四月になれば彼女は (川村元気

ふたご (藤崎沙織)

大丈夫、死ぬには及ばない (稲垣諭)

デジタルネイチャー (落合陽一)

ファーストラブ (島本理生

red

ナラタージュ

リトルバイリトル

週末は彼女たちのもの

君が降る日

大きな熊が来る前におやすみ

生まれる森

あなたの愛人の名前は <12/14 発売>

夜の側に立つ (小野寺史宣)

ひと

僕の中の壊れていない部分 (白石一文

他ならぬ人へ

愛なんて嘘

心に龍を散りばめて

快挙

もしも、私があなただったら

どれくらいの愛情

私という運命について

愛なんか  (唯川恵) 

恋はいつも何気なく始まって終わる (林 伸次)

 夜空に泳ぐチョコレート (町田その子)

水曜の朝、午前3時 (蓮見圭一)

オネスティ (石田衣良

娼年

再生

潮騒 (三島由紀夫

父のちんぽが入らない (こだま)

セカンドラブ (乾くるみ

負け逃げ (こざわたまこ)

国境の南、太陽の西  (村上春樹

風の歌を聴け

ここは退屈迎えにきて (山内マリコ

抱く女  (桐野夏生

愛がなんだ  (角田光代

誰かのことを強く思ってみたかった 

陽だまりの彼女 (越谷 オサム)

ホテルローヤル  (桜木紫乃

東京タワー (江國香織

号泣する準備はできていた

神様のボード

泳ぐのに安全でも適切でもありません

つめたいよるに

流しの下の骨

いつか記憶からこぼれおちたとしても 

男ともだち (千早茜

あとかた

行きてるだけで愛 ( 本谷有希子

自分を好きになる方法

横道世之介吉田修一

パーク・ライフ

もう一度生まれる (朝井リョウ

桐島部活やめるってよ

アルジャーノンに花束を

星の王子様 

檸檬 

去年の冬、君と別れ (中村文則) 

レインツリーの国有川浩

愛という病 (なかむらうさぎ)

世界で一番美しい病気 (中島らも

消えない月 (畑野智美)

今は空しか見えない (白尾悠)

 

 

 まあ、ざっとこんなもんですね。こうしてみると、意外と読んでいるもんですね。

ただ、日常的な生活に潜むものをテーマにした書籍が多いですね。あと文学的作品の少なさ。反省点が意外と多いものです。

 はい、そうですよね。これだけじゃ味気ないですよね。なので、今回は心に残る作品(記憶に残っているが正しい)をこの中から3つだけ自分なりに紹介します。読んだ時の置かれていた状況やどんな時に読むべきなのかをフォーカスして語っていきます。ですが、ぼくちんは書評というものが非常に苦手です。その作品を俯瞰するというよりも、その主人公に自己投影して読んでしまいがちなので、、、

 偏見に満ち溢れていますのが、彼らの心情はしっかり読み取っているつもりです。耳をちくわにするつもりで読んでみてください、、、

 

 

 

 

 

 

 

・1ミリの後悔も、ないはずがない 

1ミリの後悔もない、はずがない

1ミリの後悔もない、はずがない

 

 「俺いま、すごくやましい気持ち……」わたしが好きになったのは、背が高く喉仏の美しい桐原。あの日々があったから、そのあと人に言えないような絶望があっても、わたしは生きてこられた――。ひりひりと肌を刺す恋の記憶。出口の見えない家族関係。人生の切実なひと筋の光を描く究極の恋愛小説。R-18文学賞読者賞受賞作。 

一木けい 『1ミリの後悔もない、はずがない』 | 新潮社

 

 ”一木けい”さん著書の作品。あの”椎名林檎”さんが帯でこの本を絶賛していたことを覚えてます。この本を端的に表すと「女性の初恋による病」ですね。

 「男性が初恋を経て、拗らせていく」みたいな描いた作品(上記にある”国境の南、太陽の西”とか)は結構あるんですが、この作品はそれの女性版です。あの頃の純度の高い、あの人だけを見たような恋の甘さと苦さを思い出させてくれますね。ですが、あんまりのその味わいに浸っていると、僕みたいに拗らせてしまうので注意です。初恋の病に蝕まれてしまった人間の思考には共通点がある気がしたり、どれほど吹っ切れても突然後悔の波に襲われたり、でもあの人と過ごした記憶がたまに自分を助けてくれたり。過去の産物にしがみ付くのは良くないことですが、「たまには眺めてもいいよ」みたいな事を教えてくれますね。

 また、手紙の大切さも。この時代だからこそ、人間性がはっきりと現れる手書きで大切な人に想いを伝えることは想い以上のものがある。自分が消さない限りは手紙は残り続ける。刹那的すぎる外部の想いをそこに置いておける。みんなさんも手紙を書いてみるといいですよ。いいものですよ、本当に。

 

 

 

 

 

・ひと 小野寺史宣

ひと

ひと

 

たった一人になった。でも、ひとりきりじゃなかった。

両親を亡くし、大学をやめた二十歳の秋。
見えなくなった未来に光が射したのは、
コロッケを一個、譲った時だった――。

激しく胸を打つ、青さ弾ける傑作青春小説!


母の故郷の鳥取で店を開くも失敗、交通事故死した調理師の父。女手ひとつ、学食で働きながら一人っ子の
僕を東京の大学に進ませてくれた母。――その母が急死した。柏木聖輔は二十歳の秋、たった一人になった。
全財産は百五十万円、奨学金を返せる自信はなく、大学は中退。仕事を探さなければと思いつつ、動き出せ
ない日々が続いた。そんなある日の午後、空腹に負けて吸い寄せられた商店街の総菜屋で、買おうとしていた
最後に残った五十円コロッケを見知らぬお婆さんに譲った。それが運命を変えるとも知らずに……。

そんな君を見ている人が、きっといる――。

 知る人ぞ、知る作家さん”小野寺史宣”の作品です。20歳で相次いで両親を亡くし、一人になってしまった現代的な冴えない主人公「聖輔」が前を向いていく物語です。

 想像しているよりも暗い雰囲気ではないですが、淡々とした日常に起こる一つ一つの出来事に心が揺さぶられます。彼の作品あるあるです。吉田修一さんの作風に似てるといえば似てます(いやいや、もちろん二人に違いはありますからね!!!)

 世間に飽き飽きしてる人とかは読んでみるといいですね。毎日歩いてるその道も、何気ないあの子の一言も、青く澄み渡っている空模様も、日常は意外と俯瞰してみると面白い。あと、譲り癖のある人!!!この本を早く読んで!!!いつも謙虚でいることは時として後悔に変わることがあります。時には自己を曝け出して、ぶつけていくことも必要なのです(経験あり)

 

・神様のボート 江國香織

神様のボート (新潮文庫)

神様のボート (新潮文庫)

 

あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きてない。

消えたパパを待って、あたしとママはずっと旅がらす……。恋愛の静かな狂気に囚われた母と、その傍らで成長していく娘の遥かな物語。

昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子"。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの"“神様のボートにのってしまったから"――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。

  短編集を書かせたら、この人の右に出るものはいないでしょう。作家や詩人、翻訳家と様々な肩書きを持つ”江國香織”さんの作品です。

  物語に出てくる草子(葉子の娘)の「あたしは現実を生きたいの。ママは現実を生きてない。」「ごめんなさい。ーママの世界にずっと住んでいられなくて。」この二つの言葉がこの物語の全てを表していると思います。

 人間が愛という病、いやこれは愛なのか?正直、私もよく分かりませんが、一人の人間に固執し続けていくことの孤独さ。それに翻弄される母と娘。二人の日常が描かれていく中に、ふと浮かび上がる狂気性。「誰かを求めることは誰かを失う、たとえ一番大事な人でさえも」というどこかで見たセリフが似合う本ですね。

 「元恋人を忘れられない!」と思ってる人は読む”べき”です。その人は何なのか?執着?恨み?後悔?本当にその人も見ているのか?「”過去のあの人”を好きなだけではないか」を確認してみてください。

 

 

 

さて、ここまでどうにか本の紹介?書評?してきたんですけど、実はこの他にも新書などの小説系以外のジャンルも今年一年で50冊ほど読んでいました、、、

 別に意識して読もうとか思ってるんじゃなくて、ただ読みたい本だけを読んでいたらこんな数になってしまったって感じです。イキリではないですぅ。

 

 正直、本を読んだって金になりませんし、近年の社会に渦巻いてる拝金主義の流れに乗るならば、読書なんて意味ないと思います。まあ、でも趣味なんてそんなもんなのですよね。趣味だから楽しい。知性的なものに対する憧れも若干ありますが、楽しくなかったら一緒にいない。まるで甘ったるい恋愛みたいな存在ですね。

 

 ということで、もう幾つ寝るとお正月です(この歌詞、結構卑猥ですよね。童貞の皆さんは年を越せないのか?平成の世に永遠に閉じこめられたままなのか?みたいな?)。今年も色んなことがあったと思いますが、そんな年に、また出会えるように。

そして来年こそは、クリスマスと年末年始に休暇をもらい、大切な人と過ごせるように神様にお願いしながら。31日に待ち受ける鐘の音とLemonのメロディーを楽しみに待ちながら、残り少ない平成を過ごしていきます、、、

 

 

皆さんに幸あれ。終わり

 

 

 

 

 

待ち合わせした寿司屋はもうない

 スタバでパソコンをぽちぽち叩いてると、僕の前の席に高校生の男女がやってきた。人工的な匂いが一切しない女の子と爽やかな程度にセットされている髪の毛をいじる男の子。カフェラテと青春の甘ったるい香りのダブルパンチを受けつつも、懐かしさに浸っている自分もいた。イヤホンを外し、パソコンに集中しているフリをしながら、彼らの会話を盗み聞きする。

「前野さんって、大学どこ受けるの?」

「うーん、たぶん学習院かなー」

「マジ?すごいやん」

「渡辺くんはどこ?」

「俺は明治かなー」

当たり障りのない会話。彼女連れてる男は高圧的になる雰囲気を纏ってない点と女の子の笑みに緊張さがある感じ。まだ付き合っていないんだなと確信した。

   テーブルの真ん中に置かれたチーズケーキ。二人のように輝き続けるケーキと青髭のない男の子の横顔が僕の年齢を煽ってくる。よく10代と20代は同じように表されるが、リアルはそんなに綺麗じゃない。二月に遊園地のコーヒーカップに乗った時は吐き気が夕方ぐらいまで続いたし、バイト先で牛乳ビンのケースを運ぶ時には腰の喚きが鼓膜を叩きつけてくる。10代の脆くて刹那的な時の流れに抗ってしまった僕は20代にしてその代償を払っているのだ。彼らはどうするのだろう。

 無駄な妄想を巡らしていたせいで僕が頼んだコーヒーは暖かさを失っていた。彼らのテーブルの真ん中にあるケーキは手付かずのままだ。お互いに意識して食べ始めることができないのだろう。掴めそうで掴めない、なんとも言えないもどかしさ。この距離感の時期が一番楽しいというのは世間の持論だ。彼らはもっと近付きたいと思っている。そんなの火を見るよりも明らかだろう。

    こうして彼らを見てると、ふと過去の僕たちが浮かびあってくる。初めてのデートにまごついていた僕たち。僕たちというのはおこがましいかもしれない。けど、あの瞬間だけは二人で一人だったと言い切りたい。過去になってしまった出来事は願望でしか救えないのだから。

 

  

 中学二年生の夏だっただろうか、異性という存在を少しずつ意識していく年齢になった僕たちは、女性に対する性の視線をいくらか向けるようになっていた。その表情は肉食動物のように獰猛で、ズボンに佇む””アレ””は獣の牙にすら見えた。当時の僕もそんな表情していたが、純粋に話したいと想っていた子もいた。そういう性という意味合いを失くしてでも、話したかったし、普通に好きだったんだろう。

 どうにかしてその子と話したかった中学生の僕。脳みそをフル回転させて、その子と話すためのチャンスを作りたかった僕は遊びに誘うことにした。どういうプロセスでそういう作戦を思いついたかはわからない。当時の僕に会えるなら、根拠のないその自信と高慢さをへし折ってやりたい。

 とりあえず、夏場の部活期間中の登校しているところに声をかけて一気に決めてやろうと思った。クラスで誘うのは弄りの良い餌食になるし、メールや電話はそこまで普及していない。多少、強引にでも誘ってしまえばどうにかなるだろうと当時の浅はかな考えをしていた。この論理も脈絡もない、直感的な行動が成功してしまったケースも何度か見たことがある。それに自分も肖ろうと考えていたのだろうか。そんなに単純なものではないのに。

 どうにか彼女との遊びにものの、彼女とどんな話をすればいいか分からなかったし、そもそも僕たちにできる会話なんてなかった。生まれも育ちも違う人間二人が好きという感情だけで会話が成立するなんて傲慢すぎたんだ。マックに行って、公園で話して終わり。例年より少し落ち着いた暑さだったのに。誰にも見られなかったのに。お互いに次はないなと確信していた。徐々に彼女というよりも異性と遊んだという優越感が僕を徐々に蝕み、「女性にはちゃんと奢ってあげるんだよ!」というデート後に送られてきたメールだけが””彼女””の色を残している。

 初デートと言えば、味わいは良いが、歯ごたえは最悪だ。消化不良を起こしそうな半日だった。これは彼女を批判してるとか、そういう類のものではない。相性の悪い男女が一緒に流れる時に身を委ねることがどうしようもなく虚しいものだと嘆いているだけだ。一方的な感情だけでも成り立たないのに、そこに相性も要求してくるこの世の理不尽さ。こんな世界で幸せになれるはずがないと、中学生ながらも、僕は悟ってしまったわけだ。

 

 

 執筆も目処がつき、パソコンから目をそらし、二人組に視線を向けてみる。二人の前に並ぶコーヒーは減り、緊張感の溶けた姿勢で話し合っている。そして、チーズケーキにフォークを立てて、女の子の口に運んでいた。女の子の笑みはさっきよりも増えていた。会話の弾み具合も良くなり、彼らが向かっていく道の先が見えてくる。相性のいい二人が同じ思いを持って、お互いに向かっていくことでしかその関係性は維持できない。こんなに複雑で稀有なのに、どうして僕たちはそれを当たり前なことだと思ったり、期待してしまうのだろうか。きっと、恋愛を幸福としてしか見れない愚行がこの終わりのない苦痛をもたらしているのだろう。ヘッセが語った「幸福を追いかけている間は、おまえは幸福であり得るだけに成熟していない。」という言葉はもうどこにもない。しかし、彼らからは””幸せ””という概念すら感じられない。そういう希望すら霞めさせるほどの青い春。二人の間には春が訪れ、桜の花びらが今咲き誇ろうとしている。  

 

 二人はチーズケーキ食べ終わると、名残惜しそうに立ち上がり、カバンを背負い、男の子は空いた皿が乗ったお盆を持って、出口へ向かった。

「サナって意外と抜けてるよね」

「ナベくんだって、ボケてるのじゃん」

「それ、サナには言われてたくない」

無邪気に笑い合う二人。あだ名で呼び合う彼らを自分に写してみると懐かしく思う。男の子の後ろに続く女の子の長い髪がゆっくりと揺れている。楽しそうな雰囲気を撒き散らすロングヘアー。男の子は長い方が好きなのだろう。彼らがスタバから旅立つ時に店内に舞い込んできた風は、冬の終わりを示唆するぐらいの優しい寒さだった。

 

   

僕のクリスマス

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 いくら世間が浮足になろうと僕はどうでもいい冷静さを保っている。前日の残業の山をどうにか消化した僕。想像を絶するほどの睡魔に屈して、執筆後、シャワーも浴びずに、布団に入り、泥のように眠ってしまった。9時過ぎに目を覚ますと、クリスマスがすでに始まっていた。寝ぐせに負けた髪の毛は個性の強い方向に散らばり、足の裏からは異臭が絶えずに放出している。汚れを落とすために、シャワー室に向かう。一限をサボっていたことに気づいたのは髪の毛をドライヤーで乾かしていた昼過ぎだった。

 クリスマスを家の中でゴロゴロと無駄に過ごすのも悪くないだろう。ちょっと昼寝でもしようかと、布団に潜ってみるものの、眠気はやって来ず、携帯をただ弄ぶだけ。こんな悪い大人にはサンタさんなんてやって来ない。現実と理想を行ったり、来たり。虚しさがバッテリー残量と反比例していく。モバイルバッテリーを持って、とりあえず外に出よう。今年買ったライダースを羽織り、近所のショッピングモールへ出かける。

 

 

 

 孤独さを纏った学生が大勢の人が集まる場所に来ても、寂しさが増すだけだ。具現化させれていく寂しさ。気を紛らわすためにサーティワンを買ってみたが、店員さんの触れたほんのり人肌の残るカップとアイス自体の冷たさが余計に悲しみを自覚させる。本屋に行ってみても、クリスマスに浮ついた書籍どもが陳列されているし、コーヒーショップを見ても万人ウケするものしかなく、タバコ専売店もアイコスの押し売りなどのカップル媚びをしていて、僕の居場所はどこにもないようだった。

 そうだ、時間を忘れればどうにかなるだろうと思い、映画館に向かった。1500円で2時間も時を捨てられるならと思い、先週から始まった””仮面ライダー””のチケットを購入した。後ろの誰にも見つからないような席に座り、コンビニで買ったオレンジジュースとキャラメルを味わいながら上映開始を待つ。クリスマスなので子供連れが非常に多い。彼らの純粋な声を耳に迎え入れるたびに清らかになっていく気がしたが、隣に座っていたショートヘアーでふんわり柔軟剤の香る30代前半の人妻にムラムラしてしまったので、そんなに世の中うまくいかないんだなと痛感した。

 映画の内容があんまり頭に入っていないが、時間を潰せたので良しとした。そうでもしないとやってられないだろう。夕方になり、人が増え始めたので、とりあえずショッピングモールから出た。自動ドアを抜けると、日差しが僕の視界を隠してくる。まるで「だーれだ!」みたいなノリで。冬の太陽は随分と謙虚なものだ。夏場の不快感はどこに行ってしまったのだろうか。しかし、昨日ぐらいに冬至を過ぎてしまった。これからノリに乗ってくる彼を見ると、だんだんウンザリしてきた。

 

 クリスマスなので、ケーキでも買おうと近所のケーキ屋に来た。モールで買ってもよかったが、有り余る金と「餅は餅屋」っていうのを小さい頃から聞かされていたので。近所のいかにも潰れそうなケーキ屋さんも今日ばかりは大繁盛している。店内に入ると、2種類ぐらいのホールケーキが置いてあった。やっぱり、この辺は田舎らしさが滲み出てる。適当にショートケーキを選び、店員さんに連れられてレジに来ると、見覚えのある人がそこに立っていた。肩ぐらいにまとめられた髪の毛。落ち着いた可愛さ。小3の頃同じクラスだった「竹内」さんだった。名札にもそう書かれてあったので間違いない。

「お会計3800円でございます。保冷剤はお入れしますか?」

「あーえっと、大丈夫です」

もちろん、ここで「あれ?竹内だよね?」って聞くようなフラグは立たない。一緒のクラスでも、一緒に遊んだことがあっても、10年という大きすぎる壁が再開の言葉を跳ね返していく。

「4000円からお預かりいたします。」

淡々と出てくる接客ワードが僕を混乱させていく。あの可愛らしい同級生がこうして社会に汚されていくのをはっきり見てしまうと、他人に疎い僕も胸が痛くなる。

「お釣りの200円とレシートです。ありがとうございました」

お釣りを渡される時に触れてしまった竹内さん手のひら。どうしてあんなに冷たかったのだろうか。丁度いい暖かさを保っている店内。それなのになぜ。でも僕にはどうしようもできない。自分自身の不甲斐なさ。いや、それすら傲慢なのかもしれない。

  すっかり竹内さんに揺すられてしまった僕。ふわふわとした浮かれている自分に嫌悪感が襲ってくる。今更、竹内さんと仲良くしたいとかそう単純なことじゃないのだ。昔、少しでも仲良くしていた人。長い年月を経て、変わってしまったところを見てしまうと、どうしても置いてけぼり的なことを感じてしまうのだ。寂しいとはまた違った感覚。買ってきたホールケーキやお酒たちを冷蔵庫の中に入れ、こたつの中にある、未だに暖かさを放っている湯たんぽを布団にセットして、横になる。こういう気分の時は寝るのが一番だ。

 

 

 

あまりの暗さに目を覚ましてしまった。待受画面を開き、時間を見てみると、まだ19時過ぎだった。冬至が終わっても、そんなにすぐには日の時間は変化しない。寝癖のついた髪型を適度に直し、歯を磨く。歯ブラシを片手に、携帯を弄る。メールを開くと、仲のいい女の子から連絡が来ていた。

「今日会えない???」

どうせ、寂しさに負けて、ぼくに連絡してきたのだろう。僕は君にとっての何番目なのだろうか。敢闘賞でも喜んでられるほど、ゆとりな世界を歩んでない僕はそのメールを削除した。宛先に刻み込まれる「:Re」に興味がなくなったのはいつだろうか。忙しなく動き続ける現実。手首に振りかける香水の分量を間違えてしまった。

 

 日が落ちると、外の空気は優しさを失い、いやらしい雰囲気と冷たさを含んでいく。冷たく震えるネオンの光。。素直に「いいよ」と言えなかった。貴重な1日を無駄にしてしまった感に酔いしれている自分が不思議と嫌いになった。車を降り、さっき来たケーキさんに来てしまった。携帯をいじりながら、店内に入っていく。中には人がぼちぼちおり、一人一人が偽りの甘さを求めていた。チーズケーキ、モンブラン、クリームプリンなどを選び、レジへ向かう。前には熟年夫婦や学生、家族連れなどが和気藹々しながら並んでいる。レジには疲労の色を感じさせない竹内さんがまだいた。

 

あと、4人。意識しないように携帯に視線を向ける。ツイッターを遡っていると、妙に落ち着く。

 

あと3人。竹内さんの滑らかな指がレジを押していくたびに、変な性癖が疼いていく。

 

あと2人。タイムラインに元カノのツイートが流れていく。

「お兄ちゃんに子供ができた。本当に可愛いなぁ。私もそろそろ欲しいなー」

 

 

あと1人。あと0人。

 

 

「やっぱり、竹内さんだよね?」

「あれ、山下くん?」

心と言葉はいつも乖離してしまう。彼女の顔すら見れないで呟かれた言葉は、彼女のことも傷つけているだろう。