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新海誠『天気の子』感想 〜「セカイ系」からの卒業〜

 ネタバレを含みます。

 

・ひなさん→ひなさん

・帆高→ほだか

 

「天気の子」の画像検索結果

 

 新海誠作品にハマったのは高校1年生の時だった気がする。当時、ituesストアで「秒速5センチメートル」が無料公開されていたのを発見し、その当時仲良くしていた女の子と何度も見たのがきっかけだ。

 あの作品は衝撃的だった。過去にブログでも「秒速5センチメートル」の考察などもしているので感想は割愛するが、とにかく衝撃的だったのだ。仲良くしていた女の子の親御さんも「こんな作品があるなんて、、、」と泣きながら驚いてた。そんな新海作品に感化された僕は「ほしのこえ」や「言の葉の庭」などを視聴した。もちろん、「君の名は。」も見た。そして今回の「天気の子」である。

 

 

 まあ、長々と感想を並べても退屈なので、率直にいますと、僕的にはこの映画はセカイ系からの超越を意味してる気がするんですよね。ある種のまた別の「セカイ系」の定義と言いますか、「新セカイ系」的な感じですかね。

 

 いやお前よ、「セカイ系」とはなんぞやという声が聞こえてきそうなので説明します。「セカイ系」とは「主人公と恋愛相手の感情が、直接世界の終わりなどの大きな物語に直結してしまう物語」である(*1)(*2)。端的にいってしまうと、自分を全肯定してくれるような女性が欲しい(=母性)ってことですね。最近の若者の間でもこのような存在を求めている人がいます。なんでもやってくれる。何やっても受け入れてくれる。まるでお母さんのような人が欲しいと。しかし「セカイ系」が流行っていたのは1995年であり、高見広春バトル・ロワイヤル」をきっかけに無秩序な世界へとりあえず立ち上がる「サヴァイブ系」に移行していく。

 

ちょっと脱線してしまったので元に戻しましょう。

「天気の子」はセカイ系から「新セカイ系」の進化である。その理由はどこにあるのか。「天気の子」をよく見てもらえばわかると思うのだが、あの世界上では、東京は元々海に沈むことが確定している。”ひなさん”が晴れ女になる・ならない関わらず、大雨の影響で東京は元のように海に沈む。”ひなさん”が犠牲になれば、世界の運命が変わるというだけだ。そう、この物語は別に世界の運命を変えようとはしてない。”ひなさん”も”ほだか”の「晴れて欲しいなぁ」という願いゆえに人柱になろうとしているだけで、世界の運命を変える意思などまったくない。「エヴァQ」のように、”綾波”を救うために、”シンジくん”の自らの意思で世界の運命が変化したら「セカイ系」と定義することができるが、「天気の子」はもともと最初から東京が海に沈むことが確定していたのだから「セカイ系」には当てはまらない。

 

ただ、「セカイ系」の一部は残っている。世界を変えるなんて無意味がない。「天気の子」はそういう「セカイ系」の引きこもり的なものを含んでいる。東京が水に沈んだ後に”須賀”は「世界は最初から狂っている。気にするな。」と”ほだかにも言っているし、”須賀”が”ほだか”にあげた帽子にもウロボロス(永遠の意味=運命からの逃避を許されない)が書かれている(*3)し、”瀧くんのおばちゃん”も「これが普通なのかもしれないね(元々の東京は大半が海)」と言っている。自分の行為なんてなんの意味もないのだ。

 

 「天気の子」が「セカイ系」から「新セカイ系」への進化であることは手短にまとめてみた。別に世界を変えるほどの力、決断や犠牲がなくても僕らは一緒にいれる。そんなメッセージ性を僕は「天気の子」から受け取った。ただ、まだ2回しか見ていないので、あと2回ぐらい見ようと思う。今月も金欠が続きそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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作中で気になることシリーズ

・魚は何を意味しているのか

 

・その魚が地上に来て爆発するのはなぜ?

 

・”ひなさん”のネックレスは晴れ女の象徴?

(冒頭ではつけてない→晴れバイトの際はある→最後は割れている)

 

・「君の名は。」の人たちはおふざけ?

 

・新海先生、絶対デリヘ◯好きでしょ。ラブホとあのバスタオルは反則やぞ

 

・あと他人の過去作のオマージュありすぎ

 

 

 

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*1 宇野常寛ゼロ年代の想像力」ハヤカワ文庫 2011年 33,34頁

 

*2 このジャンルで有名なのは「エヴェゲリオン」や「ほしのこえ」である。

エヴァンゲリオンは「内面に引きこもり、ただ自分だけを承認してくれる存在を求める。また、正しいことが何かわからず、またその正解も教えてくれない。そんな世界では他人と関われば、必然的に謝り、誰かを傷つけ、自分も傷つける。」

そんな意味合いが込められている。

同上 19,20 頁

 

*3 小栗旬生田斗真が主演だった「ウロボロス」の示唆しているだけかもしれません、、、

月のように舞い散る

 家の前の河川敷には月が浮かんでいる。水面を泳ぐ月明かりは母性のような膨らみと安心感がある。日中の坊主たちの騒がしさは家々に息を潜め、代わりに名もなき虫たちが草木の間から顔を出す。誰も彼もが誰かを支えに生きている。

 「月が綺麗ですね」と言われた時の天気は雨だった。好きな女と相合傘をできた僕はそんなメールを適当にあしらった。「死んでも構わないわ」と言い換えせるほどの教養も余裕もなかったあの頃。文学少女で猫好きの彼女はいま保育士として立派に働いている。どうやら秋ごろに結婚するらしい。

 秋といえば、ウサギさんだろう。二人のウサギさんがお餅を付き合う姿を投影させるお月様。あの二人は恋人なのか。それとも友達なのか。息を合わせて餅を叩く。人を叩くより生産性のある行為。どちらでもいいが、お月見ぐらいは恋人と見たい。野郎とお餅を食べあっても喉を詰まらせるだけだし、あんなハイスピードな餅つき合戦は夜からハブられるだろう。

 仲間はずれにしたらボコボコに殴られたことがある。僕の好きな人傷つけた罰としてしたのに。彼女も先生も僕を怒った。意味がわからない。そんな僕を売った彼女は青山大学に通っている。花の人生を堪能している彼女の日々は僕に虚無感を与える。傷つく。痛む。泣く。悲しみのオンパレードが心を急がせる。でもブサイクが愚痴っても共感もヘッタクレもない。ただキモーいだけ。だから僕は隠す。どんなに嫌なことがあっても顔に出さない。出せない。そしてどんどん心に切れ目ができて行く。イテテ。でもバレないように慎重に。傷ついてない平らな面を表に出す。凹んでいる部分は裏に。誰にもバレないように。そう、月のように。きれい姿だけを見せよう。

 

体臭と大衆

 久しぶりにブログでも更新してみようかなと思い、今大学のサブウェイでMacBookを開きポチポチ自分の言葉たちを綴っています。この時間帯(15時半)になると学生の姿が少なくなり、午前中よりも落ち着いた雰囲気になるのですが、それでもサークルに向かうウェイ集団はいるわけであります。まあそんな愚痴はさておき。

 七月に入っても僕の”思い出にある夏”っぽさは訪れておらず、未だにどんよりとした空模様が続いています。湿気と汗に苛ませれ、制汗シートとタオルと制汗剤とワックスが必需品になり、カバンがいつもより重くなる。僕はあまり良い顔面を持ってない。そんでもって汗もまあ出る。代謝がいいと言えば褒め言葉になるが、臭くなりやすいと言えば悪口になる。ブサイクで臭い。このパーワワード感。字面にしただけで吐き気がする。社会で生きている以上、両刀使いだけは避けなければいけない。せめて匂いだけは。ただ何事も上手くいかない。バックの重さに比例して汗たちの勢いも増していく。真夏のイタチごっことはこの事だ。

 僕が汗で悩んでいる中、周りの人たちは就活準備のためのインターンや公務員試験勉強を頑張っている。「自分の存在意義や価値」や「大手企業・ベンチャー」など世間様にとって肌触りの良い言葉が毎日僕の耳元まで届き、その度に心の何処かが少しばかりヒリつく。冷汗が出てくる。制汗シートをまた使う。こいつ1週間も保たないやろ。まあこんなことを言っているが、僕もシューカツ対策をしている。無能且つ才能のないブサイクが社会で生きていくためには一般化しなきゃいけない。僕みたいな人種が「起業します!笑」「夢を叶えます!笑」みたいな””ありたけの夢をかき集めた少年団””のような言動をとれば総バッシングだ。社会と人間が一致団結した「出る杭は打ってやるパンチ」は僕らが想像しているより強大だ。だから、正直言って彼らは批判する気などないし、自分を道化にしながら戦っている姿は賞賛されるべきだと思う(自分も含めてね)。

 ただ、どうしてもその嘘つきパーティに僕は乗り気になれない。他人がどうこうじゃなくて、僕自身が嘘つきパーティに参加できる体質ではないのかもしれない。なんか疲れるというか、頭が痺れるというか、自分として生きている感覚ではなくなる。もう一人の自分が僕を乗っ取ると言えばいいのだろうか。でも、”そういうことができる人間”の方が幸せになれる。自分を殺すことで幸せになれる。まるで恋愛みたいですね。死=愛という構図。僕は愛に囚われているのだろうか。何かに焦がれている!?いやいやただ暑いだけだよ。きっと。

 さっきまで面接をしていたシューカツ生。当たり障りのいい言葉だけを並べてた。多分落ちただろう。面接官を見ればすぐわかる。斜め前にいたイチャイチャカップルはもういない。優美なキスを僕に見せつけていた彼らもきっとすぐに堕ちる。そんぐらいすぐわかる。そしてこんなルサンチマンを垂れ流している自分はどうだろうか。先輩のインスタが更新されずに、このまま消えてしまう気がする。もう会えない。そんな最悪なことはすぐ分かってしまう。やっぱり汗臭かかったのか。それとも顔面?体型?身長?自分のことが一番わからない。

魅力的な人になるには

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先月あたりに失恋というものをした。失恋というと烏滸がましいかもしれないが、僕にとっては失恋だ。大失恋ではないけど。

 

別に告白したとかではない。もちろん、彼氏がいたわけでもなく、男性は好きになれないやけでも、腹違いの兄弟だから付き合えないみたいなわけでもない。ただ、「どっかお出かけでもしませんか」と送ってみただけ。ほら、ちっちゃいレベルでしょ?そんなの気にすることじゃないってみたいな声が聞こえてくる。

その人は、結構前から気になっていた元バイト先の先輩(現在社会人1年目)で、帰り時間が同じなら一緒に帰るし、会ったら挨拶もするし、ぼちぼちお茶とか行ったりもしていた。あーこれきてるなー。これ脈あるなー。なんて童貞臭を拗らせていた。勿論、淡い期待は見事に折られた。「ごめんね、あんまり行きたくないです。」不慣れな敬語と句読点は僕の心をズタズタに切り裂いた。正直、堪えた。別に他の人に断られてもなんともこない。けど、この人は。この人に拒否されるのは。純白な想いは夏の暑さに焦がれて、綺麗に溶けて行った。

そんなわけで、僕は色々と過去をその人との振り返り、「あれ?魅力的な人になればいいじゃないの?」と閃いてしまったわけである。めちゃくちゃな理論と飛躍しすぎの思考法。漠然と魅力的な人を目指しても、、、ねぇ、、、というのが率直な意見だろう。その人にあった魅力的な人。それにならなきゃパッピーエンドに収束しない。そこで魅力的な人はなんだろうかと日々悩んでるのである。

まぁ色々あると思うが、僕は「何者かになること」が一番妥当性が高いかなと思ってる。僕の名前を聞くと「あ!○の人だ!」となるぐらい。要素を自分に引き込ませるレベルのもの。魅力は何者かになることで自然に香りだっていくものではないだろうか。

 

しかし一番難しい問題がある。それは魅力的な人間になったとしても、その魅力を相手が引き受けてくれるかという点だ。魅力的な人間。鎖骨やうなじのエロさだったり、1つ1つの言動が思いやりに溢れてたり、ペニスの形が頗る良かったり、自分のために尽くしてる雰囲気だったり。冷蔵庫をしっかり閉めてくれたり、誕生日をちゃんと祝ってくれたり。魅力は定義化されてない故に、生きている数だけ存在する。魅力的な人間になろうと決意したところで、無意味な魅力を持ってしまったら意味がない。

どうしたら、その人の欲する魅力に会えるのか。どう接すれば、心にある虚像に触れられるのか。そもそもその魅力を認知できるのか。恋愛は感情的に領域である。いくら理論を積み立てても、機会が長い時間を共有する中で、その魅力を知らない場合、価値観感の違う可能性が孕んでくる。好きだけど合わない。あれほど自分を変えてきたのに。一番酷な状況に陥るケースも否定できない。また、過去に捨てた自分に惹かれる可能性すらある。もうどうすればええねんと。恋愛なんだし、論理的対話で解決できるわけじゃないから仕方ないのだ。複雑怪奇。現実は小説より奇なり。難しくて当たり前。

 

魅力的な人に成らずとも、いわば現状の自分を愛してくれる人を探すのもいいかもしれない。その方が本質的だし、気を遣わないために楽だし、運命的だし。自分もその方がいいと思う。変な輪郭をなぞり、虚像に誤解を与えるよりも、等身大の自分を相手の心に写してもらった方が互いのためだ。

 

だが、そんな事をしたくない人もいる。それは妥協だと曰う人もいる。妥協というのは語弊があるかもしれない。何というか、その人の為に変わりたいと思ってしまうような。もっと魅力的な人に。その人にあった魅力性を持ちたい。

 

僕は後者側の人間だ。変えたい。適正な人に。魅力ある人間になりたい。

 

そういうワケがあって、現在は絶賛自己研磨期間なのだ。レッドブルで翼をパサパサ毎日生やし、ままならない瞼を必死に開く。気づいたら床で寝ている。頑張っている。いや、がんばっている。そんなことばがピッタリな気がする。

 

何者かになりたい。魅力を醸し出すには何者かになること。スーパースターになったら、また行けるかもね。

 

 

スーパースターになったら

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追記

実は今日の夜に「怪獣の子供」を見ようと思ってたんですよ。チケットも取ってあったんですよ。そりゃもう楽しみでね。でもね、帰宅して、ちょっと横になってしまったんですよ。はい、そうです。気づいたら時間過ぎてました。お金無題にしました。睡眠時間はちゃんと取ったほうがいいかもしれん、、、

後悔だらけの過去へ

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僕の人生は後悔の連続だった。なんで喧嘩したんだろう、勉強してんだろう、どうして好きになっちゃたんだろう、投げやりになってしまったんだろう。挙げてしまえばキリがない。だが、正直、自分の悩みや決断ネタを挙げたところで月並みっぽいので、つまらない。他人のお悩み・解決話を聞いた方がよっぽど面白いし、生産性もあるし、自分の将来に活かすことができると思う。僕の話なんて、その辺に生えてる草やポツンと佇む石ころに近い。ありきたりすぎるのだ。

そんな訳で僕の話は・・・と、まあこんな愚痴を垂れていても何も進まないし、そもそも誰にも響かない。ウダウダをただ連ねてしまうと、モノ書きの本質である「誰かに届ける」ことを欠いてしまうことにもなる。モノ書きとして活動している身として、こんなポエムを垂れ流していても、恥ずかしさと自己嫌悪に苛まれることになるので、そろそろ本題に入っていこうと思う。

 

 

こんな普遍的な人生でも、忘れられない後悔はある。いや、本当は忘れたい。忘れたくて仕方ない。忘れたいが故に忘れられないジレンマ。もはや、細胞レベルで覚えてしまっている気がする。いや、脊髄レベルかも。そんな身体レベルで覚えてしまっていることは、本当の想いを伝えなれかったことだ。「普通すぎる」「つまらない」「呆れた」との声がポツポツ聞こえてくるが、気にせず、進めさせてもらう。

 

僕は高校生の時に、大学受験に失敗し、一年間浪人することになった。受験に受かったら昔の恋人(元カノと表記すればいいのだが、どうも気持ち悪いので)に復縁を告げてみようと日々頑張っていた僕にとって、全落ちという結果は想像すらしてなかった。全くの計画外。最悪だ。クラスでも僕だけだし、同じ勉強をもう一年するなんて。しかも、浪人するなら宅浪&バイトせよとの母上からの伝令。18年間の中で一番聞危機的な状態だったのは間違いなかった。(この先にもっと過酷なことが待ち受けてるんだよな)でも、どうしても想いだけは伝えたかった。負け組ド三流の僕の戯言を聞いてくれるかは分からなかったが、とりあえず連絡を取り付け、電話することになった。

 

 

ここまでの話だと「あれ?後悔も決断もないやん?」と思われるかもしれない。しかし、事態は急変していくのだ。ちょっとドラマっぽいね。

 

 

花粉に悩まされ、なんの涙か分からないものが流れてくる。緊張しながら、公園に赴き、時間になるまで待っていた。公園にはカラスちゃんたちがイチャコラ楽しんでいる。年寄りのように懐かしの目線をカラスたちに向けていると、電話がなる。

 

もしもし。

久しぶり。

元気?

うん、元気だよ。

 

普通の会話が耳元で物語のように現れていく。久しぶりのその声にどこか懐かしさと後悔が滲み出ていく。

 

どうしたの。

うん。

え?なに?

えっとね。もし、来年受かったら、復縁、、しませんか、?

えー。来年かぁー。

だめですか?

うーん。今じゃないかのかなって。

 

 

その当時の僕がどうして「もし」と「来年」を言ったのかは今でもよく分からない。カッコつけだったのか、自己評価の劣等感からの条件付きなのか、ただ受験に彼女を利用しただけなのか。ただ、「復縁しませんか」と言えばよかったのに、なんでお飾り言葉を付けてしまったのだろうか。

決断から迷いが、または、迷いから決断したのか。どっちでも解釈できる。だが、解釈を規定したところで特に意味はないし、昔の恋人は1年後に受験合格報告をした時には彼氏がいたし、しかもその彼氏が大した事ないやつぽくて(完全なる偏見)、それに来年結婚するらしいので、本当にこの両立する用語の意味を決定づけるのは生産性もクソもない。道端に転がっている石ころみたいにどうでもいいレベルだ。ここまで意味のなさを強調していると、やるせなくなってきますよね。あの言葉は、あの行動はなんだったんだろう。僕たちは何でも意味があるって語った方が生きやすいから、自分を騙して、意味の存在を匂わせる。そこには何にもないのにね。ただ、僕のこの事件(?)はそうとは思わない。意味のないもので満ち溢れてる世の中なんてつまらないでしょ?

 

じゃ、どんな意味が含まれているのか。それは「適切に悩み、適度に決断する」こと。過剰な悩みと過度な決断は後悔しか生まないのだ。僕が言った「もし」と「来年」は過剰な悩みを作り、過度な決断を導き、後悔を生んだ。身体中に後悔が蔓延り、細胞に侵食し、心を犯した。後悔という病を駆逐するのに要した時間はただただ無駄だった。永遠にスライムを狩り続ける感じ。20レベルになってもずっと。無駄を無駄と気づけないのだ。

「無駄を無駄である」と理解できたからこんな感じで「あの事件に意味はあります!」と自信を持って言えているが、はっきり言って完璧には肯定できない。適切に悩み、適度な決断をしていれば、後悔の沼に足を取られることもなかったし、うまく復縁もできたかもしれない(?)

ただ、後悔しない人生も味気ないので、経験としては意味があるのかと無理やり肯定率を上げているわけだ。そうでもしないと人生やってられませんし。でも、後悔だらけの人生は正直キツイ。それだけは回避したいので、僕は冒頭に「後悔の連続だった」と過去形で表記している。わずかな希望。「悩み」と「決断」とは、仲良くしていきたいね。

夜の街中に

夜が少しづつ明けていく様は夜勤を経験した人にしか分からない。夜が深まっていくにつれ、孤独や絶望は大きくなる。扱いづらい彼らとの距離間を空けるために始めたコンビニバイトは私の性に合っていた。思考停止で、ただ商品を陳列し、ゴミ収集車に廃棄品を渡し、次の日の朝刊を受け取り、レジを打つだけの作業。手を動かすだけでお金が手に入ってしまう人生のイージーモード感に何度も助けられた。コンビニ夜勤は私の天職なのかもしれない。

 


そんな生産性のない思考を巡らせながら、商品を陳列している午前3時半。例の彼がやってくる時間だ。例の彼とは「エロ漫画徘徊好青年」のことである。夜勤組の4人の中では、彼はそう呼ばれている。彼は週に2回ほど、丑三つ時のこの時間帯にひょっこりとやってきてはエロ本を数分眺め、100円コーヒーを購入して帰っていく。いや本当に帰っているのかわからないが。非常に好青年で、ルックスも素晴らしく、耳にあるピアスの蛇は幾多の女性を虜にしてきたのだろう。彼の表情はあんまり変わらず、いつも「俺?異性には困ってないけど?」みたいな雰囲気を醸し出している。それならなんでこんな時間帯にエロ本なんか見てるのだろうか。彼ほどの魅力があれば、エロ本なんか必要ないはずなのに。フリーターの馬橋ちゃんは「あ~彼に噛まれたい」なんて言ってるし、もうよく分からない。ちなみに私はあんまり興味はない。

 


一度だけ、彼がどんなエロ本を見ているのか気になったので、棚卸しているフリをして、どんな本を拝見しているのか確認したことがある。「どんな性癖なんだろうな」と疑問と期待と興奮を抱きしめ、よだれを拭いながら、商品の陰に隠れ、彼に絶対にバレないように、まるで盗撮野郎のように、目線を泳がし、タイミングを探る。そして、新聞屋さんが「お疲れさまですぅ」とみんな(人妻の明美さんとそいつだけだが)の視界を集めたときに、彼の手元の本を覗いてみたのだが、私たちが期待していたものとは懸け離れたジャンルだった。明美さんに伝えると「ありきたりすぎてキモい」と非難されるほどに、彼の性癖は普通だった。なんの面白みもない彼の株はジェットコースターのように落ちていった。「エロ漫画徘徊好青年」という名は徐々に廃れていき、気づいたときには「ただの童貞」という名になっていた。ただの地雷だろうとも思ったが、「童貞」というパワー感に勝てるわけもないので特に異議を唱える予定もない。

 

6年前の日々を思い出して

 

あの日の後悔や失敗は好意や無関心を超えて僕になる

 

色々あった故の僕なら

ただただ歩いてきたから僕になったなら

あの無意味な痛みや幸せに頭を下げよう

 

あの日に戻りたいと曰う君は

あの日々を無意味にしようとしているんだ

 

若かりし想いは僕が教えてくれる 

その想いは違うかもしれないけど

君を見ている若き想いを抱くキミ 

そんなキミに君が「大丈夫」と言えるように僕は想いを紡ぐ

 

あの日々に漂う言葉

思い出すだけで安心する

 

だから、どんな痛みも幸せも笑えるんだ、意味があるんだ

 

恨み妬みも、忘却の願いも、大切な記憶も季節という色が君にする

 

「キミに戻りたい」と君の願いが叶なう

無意味は何を思う?想いは何になる?あの日々が君を呪う

 

健気で純朴な若かりし想いは僕がきっと教えてくれる 

その想いは違うかもしれないけど意味あるものだって

 

君はもう気づいている君が捨ててきた多くのキミを

僕はここにいるからさ、君が見つけるまで僕は紡いでいるから

 

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